充電式で、生きていく。双極性障害の暮らし【6】休職する
2軒目の病院で双極性障害と診断され、通院と服薬が始まった。
睡眠導入剤は少し効いた。薬の副作用は特になく、早く気分が安定してほしいと思いながら通常通りに仕事をしようとしていた。
ところが症状は良くならなかった。手はふるえ、涙が止まらず、集中もできなかった。
薬は飲んだらすぐ効くというものではなく、効きだすまでは時間がかかる。一日でも早く効いてほしかったが、効きだすまでは、身体が耐えられなかった。
いつものように上司からダメ出しをされたある日、突然「もう無理だ」と思った。
ぼきりと折れた感じだった。あるいは、コップに入った水が表面張力でギリギリかたちを保っていたものが、限界を超えてあふれ出たような感じだった。
職場でひどく体調が悪くなり、すぐ病院に連絡して次の診察を早めてもらった。
といっても、早退ができる感じではなかったので、そのまま仕事をして帰った。
病院に行って、診断書が欲しいと先生にお願いした。
「もう無理です」と言った時、涙がこぼれた。
先生は「そうですね、少しお休みしましょうか」と、診断書を書いてくれた。
これを出せば、仕事を休めるんだ。そう思うと、勇気が出た。
しかし、すぐには休職に踏み切れなかった。
繁忙期でたくさんの業務を抱えていたし、休職に至った経緯を文書にして提出すべきだと考えた。
でも、この文書を書くのがまったく進まない。なにしろ読むことが困難なのだ。書けるわけがない。
残業時間や受けたハラスメントの内容をまとめていくだけで、時間がどんどん過ぎていった。
しかもその文書は、ハラスメントをする本人に出した。上司とその上の人から受けていると感じていたため、どこに文書を出すかわからなかったのだ。
今考えると、本社の人事担当に直接出せばよかったのだが、判断力が低下していて思いつかなかった。
結局、A4の文書を1枚書くのに、2週間かかった。
やっと診断書と報告書を上司に出すと、次の日から休んでいいと言われた。
「急だな!」と心の中で突っ込んだ。
そして、不安に襲われた。急に仕事に行かなくなっても本当に大丈夫なのか。私の担当していた、たくさんの業務はどうなるのか。本当に回るのか。
繁忙期の真っただ中に突然休むことになったので、迷惑をかけて申し訳ないとも思った。
でも、もうあの辛い場所には、しばらく行かなくていいんだ。
できなくなっていることを必死に頑張らなくてもいいんだ。
それは安堵だった。少しだけ、ほっとした。
不安と、ほんの少しの安堵とともに、休職生活が始まった。