楽になろうよ。
私はただ、ハラハラと流れる彼女の涙を見つめていた。
いや、見とれていた。
彼女のくっきりとした瞳は、たくさんの涙を流しながらも凛としていて、大粒の涙が彼女の頬に落ちるのは、まるで自然界の一部のような美しさだった。
流れる滝や、窓を伝う雨水や、突然降って来る雹(ひょう)のように。
彼女は今日だけでなく、これまでやってしまったいくつもの、小さなミステイクに心を悩ませていた。
それで自分を責めて、このお店にいてもいいのかどうか、この仕事が合ってるのかどうか、そう自分に問いかけていたようだった。
それで、仕事を終えたあとに、私を呼び出して、話すうちに涙がこぼれてしまったのだ。
私は彼女の涙がこぼれた瞬間、彼女がやってしまったことなんて忘れてしまった。彼女の純粋さが形になって現れたような、涙に見とれていた。
そして口について出たのは、
ミステイクなんてあなたとは何も関係がないのよ、
ミステイクはあなたじゃないのよ、
あなたはとても素晴らしいのだから、そんな事ばかりにフォーカスし続けなくてもいいのよ、
そして新しい気持ちで、来週一緒に座ってもう一度、仕事の内容について復習しましょうよ、
と、私は伝えた。
後日、彼女は私がその時に言った、
「ミステイクはあなたじゃない」という言葉にはっとした、と言った。
自分の過ちで、自分を責め、自己肯定ができなくなってしまったとき、
それはほんとに最低な気分。
やったことを反省して、次にそなえるのは大切でも、人は何度でも何度でもそれを思い出しては、自分を責める。
反省なんて、一度でいいのに。
思い出すたびに、自分はだめなんじゃないかと思う。
やってしまったことと「自分」を重ねてしまって、自己否定から離れられないループに入る。
「ミステイクは、あなたじゃない。」
この言葉に彼女が気づいてくれて、良かった。
そう気づくだけで、何かがリセットされる。
夢から覚めたみたいに。
そうすれば、違う次元が動き出す。
正しいも、間違いもひっくるめた大きな「私」というスペースが開いて、
ま、いいか、と思えるかもしれない。
何とかなる、
そんな余裕が生まれる。
深刻さから離れて、大きな「私」に委ねれば、
小さな自分では気づかなかった、思いがけない解決策が見つかったりもする。
一生懸命に漕いでいた、ボートのオールの手を止めて、静かな波の音を感じてみて、
自分を楽にしてあげて。
あの涙の日から数週間、
笑顔で働いてくれている彼女の姿が、嬉しい。
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