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人は自分の聞きたいことしか、聞きたくないもの

お客様の中には、
様々なことをリクエストする人がいる。

食べ物について言えば
きりがないので置いておくけど、

例えば、営業時間前にも関わらず
店内に入れて欲しい、とか、

リザベーションでいっぱいで
席が空いてないことを注げると
不快を表す人、

席に着くなり、青島(チンタオ)ビール、タイティーや、春巻きを注文して、
ないとわかると、ずいぶんがっかりされる。
(アジアをひとくくりにする人は多い)。

こちらはその都度、丁寧に説明する。

きちんと準備を整えて、
お客様を迎えたいので開店まで待って欲しいこと、
(雨の日や、暑い日、お年寄りの方は例外)

店が広くはないので 
すぐにリザベーションでいっぱいになってしまうこと、

サッポロやアサヒビール、
揚げ出し豆腐などならありますよ、

などと一度、謝ったうえで説明させてもらう。

でも、
こうしたことを繰り返しながらわかってきたのは、
人は、
「聞きたいことしか聞きたくない」
ものなのだということ。

だからこちらがどんなに、
フェア、と思える方法で説明したとしても、
お客様の中には
「自分が期待する答え」でなかったら
納得してくれない。

人は心の中で、無意識に、自分が信じていることに沿った、答えを想定しているものなのだということを。

「自分が言いたいこと」
から
相手が私から
「何を聞きたいのか」、を感じ取って、
なるべくそれに添えるように答えていく、

そこから
「こちらの都合ではなく」、
「お客様の都合」
を優先させることを考える思考の道筋にも繋がる。

それはホスピタリティというスキルをあげるには、
とてもいい訓練になる。

先日、初めて来られてお好み焼きを注文した人がいた。

彼は、「僕は、お好み焼きを東京でも、ニューヨークでも食べたけど、ここはまったくトラディショナルではないね」とコメントには書き残していた。

きっと広島風は初めてなのだろうし、ウエイトレスもそう説明したらしいけれど、それは、彼の想定内の答えではなかったらしい。

20年広島で暮らして、お好み焼きを食べてきた、私の素性を話したとしても、彼はきっと納得してくれなかっただろう。

目の前に冷酒セレクションのメニューを提供していても、お酒はホットで飲むものだと、信じて疑わないお客様もいた。

自分が作ったストーリーの中に、当てはまる要素のものしか聞きたくない人は多い。その人の作るストーリーの中に、無理やり意見を挟もうとしたくなるけど、そんなことはおせっかいにすぎない。

人が創造する物語は、その人が信じているものが反映されて創られる。誰がなにを信じても、それはその人の自由であり、それがユニークさになっている。この世界には人の数だけ物語がある。

私たちは、それぞれの物語に対して、敬意を払うしかない。

私はどうかな?

自分の創るストーリーに固執してないだろうか?

私にはとっさに嫌悪をもたらすようなアイデアを、誰かが挟んできても、柔軟性をもって、自分のストーリーに新たに加える要素として 見直してみようとしているだろうか。

だって、ホットだけでなく冷酒もいけるよ!と心を開けば、もっと美味しい世界が待っている。


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