稚拙さは悪か、評価されないことは悪か
こんにちは。今日は「稚拙」について。
子供っぽくて何が悪い
「稚拙」というと下手でダメなもの、というイメージを持ちがちな人は多いと思います。
たしかにうまいもののほうが、きれいなもののほうがよく見えるのは事実ですが、そもそもこの言葉の意味するところはなんなのでしょうか。
さくっとグーグル先生に聞いてみると、「稚拙」とは「技術や作品が子供っぽくへたなこと」だそうです。
ここで私が着眼したのは、「子供っぽくへたで”悪い”こと」とは明言されていないということです。
確かにそれに必要以上に時間を費やしてしまうかもしれませんし、できが悪いものかもしれません。しかし、それは悪いことではありません。
社会の許容範囲が上がっていないか
ただし、制限時間や出来栄えなど、それを評価する仕組みが絡んできたときは話が変わってきます。稚拙な作品・成果物はその評価軸においては「悪」となるでしょう。
上記より、稚拙さが許されるのはあくまでも「それを実行することが目的だった場合」とも言える気がします。
ところで、物事に一定以上の速度・品質を求められ、稚拙さが許されないのはなぜでしょうか。
個人的には、時代として社会やモノの動きが速く・正確である、というのがその回答の一つだと考えます。
ですが、それらを過剰に追い求めることは、一つ間違えば「遅さ・不正確さ」を許容できなくなることに繋がりかねません。
稚拙な段階では「はやい・やすい・うまい」などの軸を満たすことはできません。しかし、稚拙な人がスキルを上げるまで待てない社会、というのもどうかと思います。
多様性とはよく言うけれども
また、稚拙な人がスキルを上げていくとき、必ずしも「正確で速い」方向に成長していくとは限りません。
これは評価軸を変えれば「多様性」を高める方向への進化であるということになりますが、それが認められる機会はそこまで多くはない気がしています。
これは「正確で速い」ことを是とする環境にいる側にも問題がありますが、その環境側にも同様に問題があるはずです。
生物多様性が大事だ、とはよく言ったものですが、それを守るためには「多くの資源を使ってでも、無限に速さと効率を求める」人間側に、それに反する多様性を認めることからではないか、と思ったりしました。
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