出力をあげないと出せない力
こんにちは。今回は「出力」について。
必要以上の力を使うということは一般的にはそこまで歓迎されないことだったりしますよね。よく「そんなところに凝らなくて良いんだよ」とかは私は言われていた覚えがあります。
ですがそれは他人の都合。家では親、学校では教師、社会では会社の都合の話だというのも事実です。取り組んでいる等の本人は楽しんでいたり集中していたりという能力を伸ばしている真っ最中なわけですから。
むしろ「必要最低限の力」で、を繰り返しているといつの間にか必要最低限にも届かなくなるという話もあります。
大出力を試してみる
私は合唱をやっており、男声の下の音を担当するベースパートに属しています。当然ある程度の音量で鳴らす必要がありますが、私はそこで「必要最低限」を長らく使っていました。
これは疲れ防止・スタミナの節約というより、他のパートがどうなっているかを観察する方向に力を振り分けていた、という話なのですが、ともあれどうもうまくいってなかったようです。
私としてはきっちり40%で必要な音を出せていると思っていたのですが、姿勢などを色々補正して一度80%で声を出したら、その時音質が大幅に変わり、その方向性でOK、と言われたのです。
この話のポイントは「必要最低限」は自分の可能性を大きく縮めている可能性がある、ということです。
最初の40%では出せていなかった幅の音が80%では出せていた。つまり、40%を続けていたらその部分を鍛える機会は訪れなかったわけです。
出力に応じて要素が変わる
大出力を使うことは疲れますし、壊れるリスクも相応に上昇します。しかし、それでも自分の出力上限を使うことには大きな意味があります。
先に出した通り、40%と80%には単に体感的な出力や音量差、と言ったものとはまた別の要素があります。
40%は単に全体のスペックの約半分を出しているわけではありません。すべて同じ大きさ・味の100個の飴玉のうち40個、という単純な計算だけでは説明できない、ということです。
このまま強引に飴玉で例えるなら、40%まではいちご味、60%まではラムネ、80%まではメロン、といったように、各出力帯で出てくる要素には大きな違いがある、と私は感じました。
この説明で行けば40%の出力ではメロン味の飴玉は一個も出力できません。メロン味を味わいたいと思ったらそこまで出力を上げることが必須要件です。
失敗してもいい練習環境
もちろん、大出力を扱うにはそれなりの技量が要りますし、最初は失敗が繰り返されて当然です。
なので、いきなり本番で出力を上げるのではなく、練習時から大出力に慣れておく必要があるのは言うまでもありません。
しかしプライベートにしろ、仕事にしろ「失敗してもいい練習環境」を見つけることはそもそも大変、という事情もわかります。
ですがそれでも人間どこかで、一定確率で失敗します。それを考えると、「失敗してもいい環境」はどこかで持っておかなくてはなりません。
普段の貢献度を上げて「たまの失敗」を許容してもらう、失敗しても励ましてもらえる環境を探すなど、手段はいくつかありますが、自分にあった練習環境を持っておくことはとても大事だと思います。
力を振り絞ることは力みとは異なる
力みの話は過去にも扱いました。
力みとは心理的な緊張感に由来するもので、上達を目指すためには力みの持つ価値を捨てなくてはならないと書きましたが、まさにこれは「練習環境」がないと難しいことです。
最大出力をひねり出し、コースアウトしてもなお練習させてくれる場所の存在は、自分の成長に大きく寄与してくれるでしょう。
逆に言えば背信・損失を与えるなどで自分の「練習環境」を失うことは学びと成長の停滞を招くもの、と言えるのかもしれません……