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まだ半分も、もう半分しか……半分って何?

こんにちは。今回は「認識」について。

「半分残っている」って?

コップの中にある水を「まだ半分ある」と見るか、「もう半分しか無い」と見るかによって態度が変わる、という話を聞いたことがある人は多いと思います。

これは同じ状況でも捉え方によって心境・態度などが変わる、という話としてよく使われますが、「例え話」を現実に当てはめるときにはいくつかの制約が加わることを忘れてはいけません。

それは、実際の問題では「半分」がどういう状態か定義されていない・できないケースが存在することです。

「半分」とは、(「満タンの状態」-「空っぽの状態」)/2の値と解釈できますが、そもそも「満タン」「空っぽ」をはっきりさせていなくては有効に働かない可能性があります。

満タン・空っぽの定義

例えば、普段の生活費が20万円/月と仮定して、今月の生活費があと10万円ある、という事例で考えましょう。

これは生活費20万円=「満タン」=上限の半分で10万円、と考えることができ、まだ10万円あるから不安がることはない、という使い方になりますね。しかしちょっと待ってください。あなたの家賃・サブスク費用が引き落とされるのはいつですか?

もしこれらが月末に5万円引き落とされるとするならば、実質残りは5万円になり、月に自由に使える生活費は15万円と考えておかなければならなかった、ということになりますね。

このように「満タン」状態を正しく定義しておかないと「半分」の話がただ自分や相手を騙すだけのものになってしまいます。

また、「空っぽ」=「下限」についても同様に定義が必要です。

先程の事例を修正すると、月に自由に使えるのは15万円が上限となり、半分は7.5万円となります。では、その7.5万円をすべて使い切る事はできるでしょうか。

意図せず使い切って「しまう」事はありえますが、ジャストで使い切る計画をたてるのは逆に難しい面があります。

来月臨時出費があるかもしれない、友人の結婚式があるかもしれないなどの不安から、月の予算を使い切る計画を立てることは実質できない、と考えられます。

これは上限というより下限の話になりますね。

あまりにも大きい「満タン」の「半分」

さらに考えを深めると「満タン」状態がそもそも定義不可能な状態も考えることができます。

例えば、現在の年齢が40歳として、残りの人生がざっくり40年としましょう。あと40年ありますからお好きにどうぞ、と言われたとき、果たしてそこまでの40年と同じ使い方ができるでしょうか?

残りの40年がどうなるかは全く読めません。40年もあれば技術革新もいくつかあるでしょうし、それを差っ引いても引っ越しなどの環境の変化、自分の健康状態の変化だってありえます。

そもそも、40年をひとかたまりとして考えること自体、現実的にできるだろうか、と疑問に持つこともあると思います。

そう考えると、まだ40年ある/あと40年しかないという議論にどれだけの意味があるでしょうか。大抵の人はその40年を10年や5年など小さな単位に刻んで考えることが多いのではないでしょうか。

たとえ「満タンの半分」があったとしても、それが想像力の限界を超えていては判断基準になり得ない、という話です。

例え話の前提を見極めよう

コップの水のたとえにかぎらず、例え話はあくまでその話の中の前提において機能しているものだということを忘れてはいけません。

この話であれば「適度な大きさ(上限・下限がわかりやすい)のコップがある」「その中に半分水が入っている」という前提条件があります。

上記のような前提条件を状況に応じて調整して使わないと、例え話はただ自分や相手を騙すだけの詐術になってしまいます。

私たちは具体的なものを抽象化することができますが、結局抽象論は具体的に落とし込むことでしか使えないのです。

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