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異次元と共鳴する10月、奇才・鬼才音楽に浸る (その1)

10月、秋。欧米ではいにしえの万霊節にちなんだハロウィン、インドでは光が闇に打ち勝つ収穫祭、ディワリが祝われる。そして今年は10月と11月にふたつの月が天上にあるらしいという異様さ。そんな奇妙な月には、鬼才たちが紡ぎ出した音楽をちょっと。下、10人の鬼才・奇才を集めてみた。

[独/中]その1、ユジャ・ワン。

北京出身のユジャ・ワンは、驚愕の技術と表現力で個性的かつシュールな選曲を自在に演奏する鬼才。また、難曲だけでなく、ネオクラシックにも斬新な解釈をもたらす。ドイツ・グラモフォンと契約。こちらリンク、彼女のプロコフィエフ演奏はベルリン・フィルをも驚かせ、鳥肌が立つほどの圧倒的な存在感を放った(独・仏共同TV局Arteで放映)。

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団さえ驚愕。
鬼気迫る旋律。指がゴースト化。

上のビデオは、なぜか埋め込みができなかったので、こちらでどうぞ、(リンク

また、下は、ネオクラシック界の巨匠、フィリップ・グラスの曲を自己解釈し、前代未聞の極みにまで昇華。まさに驚きのバリエーションだ。

[英] その2、ローラ・マーリング。

英ネオ・フォークの才女ローラ・マーリンは、深遠な歌詞と独特なメロディで人間の闇や、隠れた感情を鋭く描き出す奇才。英ガーディアン紙によるこの曲の解説:自由で彷徨う男の姿と、それを見つめる自己のアイデンティティの揺らぎ。

歌詞一部、意訳:
『夜に包まれたものたちが 間違ったものを追いかける
みな、さまよい疲れて、だれかに導かれたがってる
さもなければ、死ぬまで叫び、泣き続けるだろうから
でも、私は身を自由な放浪者にゆだねよう
いつも私が私であったことを、みんなに知ってほしいから

打ちのめされ、冷たくなった私  
子どもたちは、ただ老いるためだけに生きる
でも、ここで嘆いてばかりいたら
ほんのわずかな風にさえ吹き飛ばされてしまう』

こちらは英国ビクトリア調の映像美。下、映像とマッチする古典調での歌詞一部意訳。
『悪魔と共に、悪魔の休む場所にありたり。
言ひたくはあらねど、そこに留まっておりし。
悪魔と共に、悪魔の地にいたり。

君が我に飲みたまえと仰せなら、少しばかり考えたり。
アロエの杯を見下ろし、ひと口味わひてみたり。
苦味は血の如く濃く、海風の如く冷たし。
もし飲まんと欲するなら、好きなだけ取るがよい。
言ひたくはあらねど、それは悪魔の味なり。
我は悪魔と共に、悪魔の地にあり』。

[米] その3、ニーナ・シモン。

クラシック音楽で培った卓越した技巧と、ソウルフル表現力の異色的融合。上のビデオは、白いフードに身を包み、恐怖と暴力で黒人や少数派を襲った、アメリカの白人至上主義団体『KKK』を写し出している。

歌詞一部、意訳:『罪人よ、どこへ行くのか、逃げ場を求めて、さまよう旅。岩に、川に、海に手を伸ばし、助けを求める、心の叫び。

岩は言う、「もう、隠れられぬ」、神は告げる、「悪魔のところ(地獄)へ行け」と。苦しみの中で求める力、祈りの声が響く、絶望の底で。

力を求め、心はうねり、救いの光、暗闇を裂け。
神のもとに戻るべく、真の自分を見つけ出す旅』。

60年代に、この抗議の歌を命がけで歌い、後ろで演奏する男性たちが恐れを抱いているのがよく伝わってくる。曲の最後までその迫力は衰えない。

『アラバマには心が乱され、テネシーでは安らぎを失った。
そして誰もが知る、このミシシッピのことよ、くそったれ!

番犬に追われ、わたしたちの子供たちは監獄にとじこめられる。
黒猫が道を横切る、毎日が最後の日になる気がしてならない。
言わずとも、私に言わせて、我が民はもう限界なの。

この国は嘘と偽善だらけ。見るがいい、そのうち、誰もが屍(しかばね)と化し、ハエのように堕ちてゆくだろう。もはや、私はこの国を信じない。

(白人たちよ)、わたしたち(黒人)の隣に住んでほしいとは言わない。
ただ、私たちに、せめて人間としての平等を与えてほしい・・・。
そう、私の嘆願は、ただ、ただそれだけ』。

[アイスランド] その4、シガー・ロス。

アイスランドのポストロック界バンド、シガー・ロスは、独自の音響美と幻想的なサウンドスケープで、異色の才能を発揮。この曲では、静寂な世界の中、繰り返される「冬、死の静寂」のモチーフ。不気味な静けさとともに、ただ唯一動いているカモメの存在が「生の持続性」を表す。

歌詞一部意訳(英訳からの意訳):
『静寂の世界
髪の毛一筋も動かず
墓の静けさが響く
目覚めた者はいない
躍動のリズムもない
完全なる死の静寂

それでも霜は誇りたかく静かに横たわり
人々は かすかにある希望の光をまもる

霧の中で、魂が引き寄せられ
多くの者がその霧を感じながら
全てがしずけさの中で 終わりを満喫

そしてカモメが舞い上がり
死の静寂を打ち破るすべては波に引かれてゆく』

[日] その5、椎名林檎

椎名林檎は、自ら「奇形」で生まれたと語り、異端的な感性で日本の音楽界に独自の存在感を放つ。上は、元エレファントカシマシのボーカル宮本と化け物同士のデュオ。ふたりは大正時代の狂気作家を彷彿とさせ、不気味でおもしろい。

歌詞の一部:
『この世は無常 皆んな分つてゐるのさ
誰もが移ろふ さう絶え間ない流れに ただ右往左往してゐる

いつも通り お決まりの道に潜むでゐる秋の夜
着膨(きぶく)れして生き乍ら死んぢやあゐまいかとふと訝る
飼慣らしてゐるやうで飼殺してゐるんぢやあないか

孤独とは言い換へりやあ自由 黙つて遠くへ行かう・・・』

上、曲の題「鶏と蛇と豚」は仏教の三毒、すなわち欲望(貪欲)、怒り(瞋恚)、無知(愚痴)を象徴し、人間の苦しみの根源を表している。

上と同じく古典調で意訳してみた・・・:
『甘き蜜を思ひ、満ちるまで貪り食ひたり。
その蜜尽きんことを恐れ、さらに求めざるを得ず。
口より滴る蜜をこぼしながら、さらなる蓄えを求めて走り回る。
貪欲に食み続けるうち、吐き気を催し、
そこかしこに吐き出してしまひたり。

満腹とは本来、喜びなりと思ひしが、実は憎しみを孕みたり。
何故か、かくもなりぬ? 蜜は初め、確かに甘美なりしが、
実は毒にてあらんか?』。

その2につづく。


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