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【11】話す=放す

こんにちは。みずたま なおです。
今回は話すことについて書いていきたいと思います。


1. 思春期に

私の中学時代は荒れた環境の中で過ごしました。

特に中学校は一部の不良のおかげで(?)かなり荒れていました。

驚くかもしれませんが、授業中に爆竹が鳴ったり、3階から給食や机が降ってきたり…。

他にもエピソードはたくさんありますが、赴任してきた先生方は悉(ことごと)く精神を病んでいくという環境の中で3年間を過ごしました。

まじめに授業を受けていても、背後からいきなり頭を叩かれたこともありました。

なので「目立ったらやられる」と思い、本当の私を押し殺してひっそりと中学校生活を送っていました。


家に帰れば帰ったで、毎日お酒に入り浸っては母に手を挙げる元父を号泣しながら静止させようとする日々でした。
(もしかしたら元父も精神疾患を患っていたのかもしれません)

物理的な力も権力も元父が圧倒的に上。

当時はなかった言葉ですが、私は”面前DV”を見て育ちました。

大人になるために必要な、人間形成のために大切な中学校生活をこうした環境で過ごしました。

こんな3年間を送ってきたことで、私自身のことは二の次になり、

「将来私はどんな大人になって、どんなことがしたいのだろう」

という、おそらく多くの中学生が考えるような”自分と対話”をする機会が全くありませんでした。


2. 自分との対話

これまで私自身の意志ではなく、ただ流されるままに身を委ね、いわば「社会のレール」から外れないように無難に生きてきました。
目立たないように。

以前どこかで、一度社会のレールから外れると戻れなくなる、という話を聞いたことがあります。

ただ私の場合、精神疾患に罹って休職をし、時間ができたことで、これまでできなかったことができるようになりました。

それは、私自身と”対話”する時間ができたということです。

精神疾患に罹ったことは人生に関わる重大なことです。

でもそのことで、自身と対話する機会を得ることができた、と考えると精神疾患に罹ったことは私にとって「ただの偶然ではなかったのかな」とも思っています。

そのとき私は23歳。
10年遅れての思春期がやってきました。


3. 「私」

休職期間中、少し体調のよい日がときどき出始め
「ちょっと散歩に行ってみようかな」
と思うようになりました。

歩いて10分くらいのところに図書館があり、リハビリも兼ねてそこへ通っていました。

そこでは哲学書ばかり読み、「私とは何か」という答えのない問いばかりを探していました。

それは葛藤の連続でした。

これまで経験してきた苦しい記憶をどうしても取捨選択できず、
考えれば考えるほど頭の中が混乱して「わーー」となってしまいました。


4. カウンセリングで

家でも学校でも気持ちの休まらない中学校生活を送ったことは、おそらく今の人間形成に大きく関わっていると思います。

ちなみに小学校時代の私を知る友人曰く
「明るくて、ときどきちょっと面白いことを言う人」
だったらしいです。

発症して間もない頃は、私は精神科に毎週通院していたのですが、
体調が落ちついてきたことで2週に一度の通院間隔になりました。
そして、それを機にカウンセリングを受けることになりました。

カウンセリングで一番話したかったことは、
やはりすっぽりと抜け落ちた中学校の3年間のことでした。

ですが、この類の話は”家庭の話”なので非常にデリケート。
口外することもできず、まして身内に悩みを打ち明けることなどもってのほか。

なので、この中学校の3年間の出来事は誰にも言わず封印することにしていました。

していましたが、カウンセラーさんが
「病気のことでなくても、いま話したいことがあれば何でも話していいからね」
と優しく言ってくれました。

なので、かなり躊躇いましたが思い切って話すことにしました。

話していくうちに、当時のつらい思い出や苦しかった出来事が次々と思い出され、私の涙は止まりませんでした。

それでも、その話をメモを取りながら「うん。うん。」と静かに聴いてくれたカウンセラーさんには感謝の言葉しかありません。


そして、カウンセリングも回数を重ね、病気の苦しい胸の内を話すうちに、次第につらい思いは緩和されていきました。

すると、カウンセラーさんは言いました。

「『(つらいことや、苦しいことを)話すことは(手)放す』ことなのだから、これからは無理に我慢せず誰かに話すことも大切だよ」と。

端的に言えば「話すこと=(手)放すこと」。

つまり、
「つらく苦しいことも、誰かに話せば楽になる」
ということです。

カウンセラーさんのこの言葉を聞いて、それまで緊張していた私の肩の荷がストンと下りたような気持ちになりました。

その日は快晴。
病院から帰ってきたとき、部屋に差し込んでくる日の光が、その日はいつもより少し明るく感じたのを今でもよく覚えています。




最後まで読んでくださりありがとうございました。
Xもやっているので、よかったら覗いてみてくださいね。
 
みずたま なお(@nao_mizutama)

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