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65:ベナンの絶対的貧困者と国際協力の世界で生きることを諦めた私

 Bonjour!

 先日、とある地方都市の貧しい村に行く機会がありました。

 ベナンは中心地以外は森?林?草?で囲われてることが多く、ガタガタ道を奥へ奥へ進むとポツリポツリと小さな村があります。

村の様子①
村の様子②
村の様子③
村の様子④

 今回訪れた村は近くの村と比べても収入がかなり低く、その日暮らしの生活をしている人がたくさんいます。

 村では5人の孫の面倒を見るおばあちゃんの話を聞きました。

 おばあちゃんの義理の娘(孫たちのお母さん)は出産した際に亡くなってしまい、息子(孫たちのお父さん)は妻を亡くしたショックで病院の帰り道にバイクの事故を起こしてしまったそうです。命は取り留めたものの、精神的におかしくなり普通の生活ができなくなったとのこと…。

 「孫を育てられるのは自分しかいない」と頑張っているおばあちゃんですが、一週間の稼ぎは日本円にして数百円しかありません。

 ベナン人の月収は平均1万円と言われていますが、その4分の1以下。

 彼女の土で出来た狭すぎる簡素な家は、屋根と壁の間が隙間だらけで雨季になったら住むことができません。電気も水道もなく、孫たちは学校には通えていません。

青い屋根がおばあちゃんの家

写真の許可は頂いたが、こんなに撮影を躊躇ったのはベナンに来て初めて。


 ベナンに来て、明日食べるものがないような人たちに初めて出会い、涙が止まらなくなってしまいました。

 初めて途上国の現実を自分の目で見た時の衝撃と同じ感情。

 9年前、カンボジアの地雷埋没地にあるブーロン小学校で絶望したあの気持ちを再度味わってしまいました。

ブーロン小学校

教師不足ゆえにこの村の少女(16歳と18歳)が先生をしていた。教員免許も持っていないどころか彼女たちもまともな教育を受けることができなかったため、小学1.2年生の国算しか教えることができないと嘆いていた。周りには地雷が埋まっていてとても危険な場所にある。


 物資やお金の支援だけでは絶対に抜け出せない貧困のループ。一方で、日本に帰ってしまう「自分はやっぱり何もできないんだ」と痛感しました。

 だからといって本気で国際協力をしようと移住をしたところで、仕事がない=稼ぐことができないと自分の生活もままなりません。

 日本でも国際協力は出来ますが、やるからには現地に行って行動したい。というより、現地に行かないと出来ないことがたくさんあります。

 幼い頃から国際協力で生きることを夢見ていましたが、「私はこの道では生きていけない」と自分の力量が分かったことは協力隊になってよかったことの1つです。

 協力隊は「2年」という任期があるから突っ走れますが、骨を埋める覚悟で移住し、その国の発展のために一生捧げることは私には到底できません。

 途上国に一生を捧げると決めた友人たちのこと誇りに思うと同時に、今しかできない活動を今まで以上に頑張っていこうと心に誓った日になりました。


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