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自分には何にも無いと思ったら? ←大正解です

目を閉じて、
深く呼吸をして。

自分のカラダが風船みたい
膨らんだり、しぼんだりする。

そしたら、
風の音が聞こえて、
呼吸の音が聞こえて、
何千キロも何万キロも先で
魚の尻尾が水を掻く音が聞こえるみたい。



自分は何者なんだろうって、何のために生きているんだろうって
時々考えてはみるけれど
答えは無くて、
こうしている「今」も答えは無い。

答えが無い、自分は何にもない。

得意なことも、
素敵なところも、
取り柄もさしてない。

・・・・・なんにもない。

と感じたら、思ったら、悲しくなったら、

それはとってもとっても
おめでとう!!

の出来事です。



だけど何故だか
外の世界と触れ合った時に、
自分の中の なにか と 外の なにか が化学反応を起こして
それを見たことない人や持ってない人が
例えばそれを

個性というのかもしれないし、

素敵っていうのかもしれないし、

最悪っていうのかもしれない。


あなたの色は
他の人から見れば十分に色があります。


それは
赤や黄色かもしれないし、
透明のことだってあります。
見たことなさすぎて、言葉では表現できないことも。



何かになろうとしなければ・・・・
って、
そもそも「なんにも」無かったよ~~~



肩の力を抜いてリラックスして、
ご飯を食べたり、
お風呂に入ったり、
友達とおしゃべりをしたり、
お仕事をしたり、
お掃除をしたり、

あなたのそれを
あなたがそうやって外の世界に投げかけているのであれば
そこには十分に「いろ」があると思います。



もしあなたの色が水色だとしても
あなたは、
あなたの内側も外側も「なんにもない」と感じると思います。

外の世界が白色だったり、
あの人はみどり色だったりするから
自分にとっては「なんにもない」が、まわりの人には「水色」に見えます。


でも・・・「水色っぽい」人が多ければ、
一見ぱっとは分からないから
それを「個性が無い」だの、「自分が無い」だのと周りは言うかもしれません。

だけどよーーーーく見てみれば
あの人の水色の奥には黄色が混ざっている?


だけどそれを必死に主張する必要はありません。

あなたがそれを外の世界に投げかけているのであれば
それは十分にあなた色の表現になっています。



もしも、その表現を通して何かを伝えたくなったり、
誰かに褒めてもらったり、
評価してもらいたくなったら??


そしたら、
それをますます脇において・リラックスして、
目の前のことや、やりたいことをやればいいんだと思います。


あなたがそれを手を使って、目を使って、耳を使って、足を使って。

あなたのカラダを使って
外の世界に投げかけているのであれば
心配しなくてもそれは十分にあなた色の表現で、
それに興味を持った人がいつかあなたに何かをお願いしたり、
いつか耳を傾けてくれると思います。



HP : NAO ∞ invention
Instagram : nao8invention
youtube : しあわせなカラダを作ろうチャンネル(仮)



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