自分に寄り添うやさしき伴走者でありたい。
「またやりたいと思ってるんだけどね…。」妊娠出産を理由にジョギングを辞めてから、運動からずいぶん遠ざかってました。
そんな息子も来年からは中学生。もはや、つきっきりのお世話が必要な年齢でもなくなりました。そして言い訳も通用しないのでした(笑)。
ところで。言い訳って自分の外側にあるモノを理由にしちゃうものです。けれどもできない理由の糸をするすると手繰っていくと。。いつもいつも「わたし」がちょこんと部屋の隅っこに鎮座してる姿にたどり着きます。
そんな暗いところで大人しく座ってたってなんにも変わらんぞーー。
部屋の扉をほんのり開けながら、わたしはわたしに話しかけてみたりします。顔は見えなくて影だけのわたし。イメージはちびまる子ちゃんに出てくる顔に暗い縦線が入ってる野口さん(笑)。
シーーンと返事も返ってこないときもあれば、モジモジされることもある。反抗期もとうに過ぎているのになかなか難しいお年頃が続いておりますこと(笑)。
でも、そのひと自身が何より知ってるわけです。そこに座ってても何も変わらないってことを。
人はいつも何かのきっかけを待っているのかもしれない
そんなふうにも感じます。ひょんなことから変化や一歩を踏み出すきっかけを誰かから持ちかけられることもあるかもしれない。
もしかしたら、環境が自然とそうせざるを得ない状況に導く、ってこともあるかもしれません。
わたしの場合で言うなら、人前で今年の目標を言う場面にうっかり遭遇してしまい「運動(ジョギングなど)して動きのある年にしたい!」と宣言してしまったことがきっかけ、と言えます。
年が改まると、ここぞとばかりに心も改めたくなりませんか?思うに
①それだけ惰性で日々を生きていることにちょっぴり後悔の念を抱いている人が潜在的に多数いらっしゃること
②年改をきっかけに人はリスタートを切りたくなること
絶妙な2つが絡みあい打破しやすい時期が、ザ・お正月なのかも…とも思ったりします。
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で、ジョギングです。
運動って、体力をつける、肺活量を上げる、などフィジカルな側面から語られることが多いですが、わたしが求める「カラダを動かす効能」って「キモチに作用する部分」も大きなウェートを占めてます。
よく聞きませんか?走りながら思考を整理したりする、とか。「歩く瞑想」ならぬ、「走る瞑想」。そんなふうにできたら、心も体もいい具合に整うんじゃないかしら?と期待してました。
が、そんな密かなもくろみは脆くも崩れ去り。走り慣れていないわたしの脳内は「苦しい、苦しい」の一点張り(笑)。
唯一の前向きな考えは「脚を前に出し続けていく」ということ。
withコロナな時代に計らずとも突入し、出来ることの制限から「出来なくなったこと」は確かに増えたかもしれません。
それでも、
脚を一歩前に出すことくらいはできるでしょ?
そんな風に諭されてるような気もして。まだまだ「できることはある」し、目を向けるべきはそっち側だよなとジョギングから教えてもらえた気がしてます。
まぁ、自分が自分に勝手にそう思っているだけだから、完全な一人芝居ともいえますが(笑)。
それでも、これからの時代に必要なことって、自分が自分を励まし労るチカラだとも思ってます。
たかがジョギング。されどジョギング。
今年も仲良く自分に寄り添い、伴走していきたいものですね。