スキを丁寧に育む
最近、「何かを表現したくてたまらない自分」によく出会います。
これまで何も表現してこなかったの?となると、いえいえ、それなりにしてきてたと思ってます。
セラピスト活動も思いがカタチになったひとつの在り方ですし、その時々でやりたい、伝えたい、携わりたい、たくさんの思いを抱いてたくさんの選択をしてきました。
でも、もっと言いたかったことがあるかもしれない。もっと伝えたいことがあるんじゃないかしら?胸のあたりからブワーっとうずうずムズムズしたエネルギーを感じるのです。
なので、自分に問いかけることが多いですし、自分との対話時間も増えました。何がしたいの?それはどんなものなの?と。
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向こうからやってくるタイミングを待つのも、もちろんよしです。でも今は自分から歩みよりたい気分です。
なので、ずずっと一歩、もう一歩、とそのムズムズな明るいエネルギーを追いかけてます。
クリエイティブと言われる何かしらの分野で何かしたい、と思いつつ。こんな風にnoteを書くのも表現を楽しむ方法のひとつです。
さらに自分がこどもの頃にスキだった頃を思い出して、ノートにメモをしたりもしてます。
フェルトでぬいぐるみ作り リリアン 編み物
おじいちゃんの影響で好きになったクラシック音楽を聴く お花を育てる 絵画鑑賞
OL時代に夢中になってたフランス語 パン作り
子育ての合間にやってた布小物雑貨作り…
人は誰でもしたいことや才能に溢れた存在だとわたしは信じております。
ただ、人はある時点で「スキ」への見限りだったり、諦めみたいな思いを密かに持つことでクリエイティブに生きることから離れて行ってしまう瞬間があるように感じてます。
あれほどスキで満ちて、輝いていたモノたちが、どんよりと色褪せて見えてしまう経験ってありますか?
「できてる/できてない」「お金になる/ならない」と勝手な価値基準で自分の「スキ」をジャッジし始めた時に人は「スキ」を無意識に手放してしまうのかも知れない、なんて思い当たったりしましたがみなさんはどうなのでしょう?
ホントは続けたかったら続けたらいいし、他人が価値を見出さなくても自分の「スキ」を丁寧に育んでいくことだけでいいよね、と素直に思えるようになったお年頃です。
何かをするには何かを諦めなくてはいけない。
無意識にそんな思い込みを持っていたことに最近気づきました。
そんなことないよ。両方叶えることだって出来るんだよって。
いじけてるわたしに優しく話しかけながら、今日もわたしの中に眠る可能性を引き出してます。
生きるってクリエイティブですね。