次女が天照大御神に見える
4月から長女が幼稚園に入園し、私には次女の2人きりの時間というのができるようになった。次女は生後2日目で1人で勝手に寝る、いわゆるセルフねんねという技を習得し、以降、眠りのために私の手を煩わせたことはほんとんどなく、俗に言う手のかからない子である。いや、手のかからない子日本代表といっても過言ではないくらい、手がかからない。
1人で遊ぶ時間を持つ長女を横でずーっと見ていたせいだろうか、ふと見ると1人でお人形で遊んでいる。1人で本棚から本を出して、めくりまくって遊んでいる。ゆえに、長女のとき私をとことん苦しめた「後追い」がほとんどない。人見知りこそするものの、後追いがないというのはこんなに楽なのか。睡眠のスキルは現在も高く、1人で布団に入って寝ている。気がついたら寝ている。もしくは、眠くなったら「だっこ」と言い、私が座りながら膝の上に乗せてると寝る。あと、私がピアノ弾いているとよく寝る。そして2人目あるあるなのか、喋るのが早い。「うん」と「いや」を早いうちから表現してくれるようになった。ちょっと機嫌が悪いなと感じたら、お腹空いたの?と聞いてみる。すると、「うん」と答えてくれる。おやつを食べて解決。お腹すいたの?に対して首を振るときは、眠たい?と聞いてみる。すると、「うん」と答えて私に抱きついてくる。そのまま眠る。
次女は情緒もすごく穏やかだ。起きた瞬間からニコニコしている。おはよーと声をかけたら、持ち前のえくぼを遺憾なく見せつけ笑ってくれる。えくぼは恋の落とし穴という歌詞があるが、まさにあれである。私は1日に数回恋に落ちている。これに関しては長女もそうであったが、赤ちゃん特有の何で泣いてるの?という状態が発生しない。基本的にあまり泣かない。泣いているとしても理由がわかりやすいので解決策もすぐ見つかる。長泣きはしたことがない。
まだまだ誤飲やいろんな所からの落下には気をつけなくてはならず、目が離せるというわけではないが、とにかく私に癒ししか与えない次女。「まーま❤️」と言って私の顔を覗き込んでくる。えくぼ丸出しで。まっっっっじでかわいい。
そんな次女を私と実姉は「天照大御神」と呼んでいる。実際のところの天照がなにをした人物なのかはよく知らないが、名前を聞いただけでどことなくありがたい気持ちになる、崇めたくなる、という意味だ。
ここまで書いて、これってただの自慢では…?という気持ちになっているが、まあそうなのかもしれない。私は次女の天照大御神っぷりを世の中に公表したい。私だけで楽しむのは勿体無いのではないかとすら思う。
もう一個いうと、次女は非常によく食べるが小柄であり、1歳2ヶ月を迎えた今も8キロ9キロくらいしかない。これが何を意味するかおわかりだろうか。そう。抱っこが楽勝。軽い。いつまでも軽い。例え抱っこ抱っこと泣かれても余裕で抱っこしていられる重量であるから、私の心はただのハッピーでしかない。保健士さんとかに見せたら、ちゃんと食べさせて!って怒られそうだが、かなり食べさせているのにこれだから仕方がない。
この天照大御神、どんな女の子になるであろうか。穏やかな情緒はどうかそのままでいてほしい。少女になっても大人になっても、どうかそのままニコニコさんであってほしい。そして身の回りの人々を癒やし続けてほしい。えくぼも丸出しでいてほしい。産まれた季節を全面に打ち出した名前の次女、もうすぐ人生2度目の秋が来る。秋の天照大御神もさぞかわいいであろう。
次女と2人きりの時間は私にとって夏休みだ。もちろん長女も大好きだが、この時間は今私にとってはなくてはならない時間だ。天照大御神はいまボールにシールを貼って、えくぼを全開にしている。かわいい。