【実話】#6 学校へ行かないを選んだ娘との奮闘記

前回からの続きです。

手が離れていく成長しているのを感じる喜び

小学4年生になり、学級委員にまで立候補した娘。
心機一転、学校には通常登校できるようにもなっていきました。

朝の登校に付き添い、クラスまで見送って
そこからは自分一人で学校生活を過ごせることも・・・。
周りのお友達にも恵まれていたのでしょう。

朝の登校も、登校班で行ける日も多くなりました。


私は学校に同伴しない時間が増えたら
自分のことを整えていきたいと考えていました。

仕事量は変わらずMAXでしたし
イベント出演、フラッシュモブ、次の自主公演に向けての長期プラン。

息子は野球部だったので、母のお茶当番も頻回に入っていました。

このままいくと、身も心もボロボロになることは見えていました。

毎日必死だったから、どこから何に手をつけて良いかわかりませんでした。ひとまず第三者目線でアドバイスしてもらう方にタイミングよく出逢うことがあり、コンサルを受けることにしました。

とにかく今のままでは抱えているものが多すぎる・・・
誰が見てもそう言ったと思います。


一つの学びが、その後の人生を大きく変えることになった


そんな時、ある講座が気になり勇気を出して受講してみました。

大人になってから学ぶって

ピラティスのインストラクターの資格を取ったぶりだったかもしれません。

個人事業主になってから、必死で駆け抜けてきました。

子どもも幼かったですし
自分にはダンスがあれば大丈夫!
ダンスさえ踊っていれば・・・
スタジオの生徒さんと、目前にやってくるイベントや公演のための作品作りがうまくいけば・・・


今思えば、本当に目先のことにしか考えることができず

むしろ目の前のことに真剣に取り組む以外、道はないとも思っていました。


だから、何か別のものを取り入れたり
どこかに学びに行くなんて

心の余裕もなかったですし
時間のキャパもなかったですし

そして、これが最大の難関。
外に目を向ける、知らない人と交流する

これが一番怖かったのかもしれません。

そうなんです。
引っ込み思案の恥ずかしがり屋の私。
非常に内向的な少女時代を過ごしてきましたから

時折、そんな小さな自分が出入りするのです。



この日学んだものは、その後の私の人生に大きな影響をもたらしていくことになりました。


時間の使い方、人生時間の使い方、やるべきこととやりたいことの区別など

目から鱗の学びを多く受けました。


そしてその数ヶ月後・・・

大きな決断をいともカンタンに下すことになります。


今までも何度かよぎったり考えてはいたけれど

『やめ方がわからなくて』断念。

正当な理由がないと辞めれないと思っていたのです。


これも私の狭い視野での解釈。

でももう、ここで私は働かなくても良いこと。
もっともっと大きな視野で
翼を広げていって良いと思っていたのです。

それは

事務員時代から勤務していた高校での

ダンスの講師を辞める

という選択です。


事務員時代から数えると約25年。
その学校でダンスを教えるようになって18年か19年。
ダンス部のコーチを兼任して5年。


相当な長い年月を
高校生という爆発的に成長著しい年代
私の大好きな世代の生徒と過ごしてきました。


第一がダンススタジオの経営だとすれば
その時の私にとっては
ここでダンスを教えるということは第二の職場。


私がいなければ・・・大それているように聞こえるかもしれませんが 
そんな使命感に燃えていたんです。

学びを深めて
視点を変えてみれば

ここは
この場所は

私でなくても誰かが担える場所ではないか・・・

ということに気づいたのです。


ならば話は早い。


学校は年度で教員の入れ替えがあるため

半年前の秋に
退任の旨を学校長に申し出ました。

後任の先生が来る4月の年度初めまで

新年度に出演するイベントや
新入部員募集に向けた作品作りまで

とにかく生徒が困らないようにと

最後の最後まで渾身の指導をさせて頂きました。


晴れて
退任した時の、なんとも言えない晴れやかさ

重い荷物をおろした軽やかさ

未来に向けて希望が溢れたキラキラ感

人生の大きな選択ができた自分が
とても誇らしかったのを覚えています。


これで

少し時間に余裕を持つことができる

もっともっと勉強していきたい

身体のメンテナンスもしていきたい

人にも会いたい

娘に何かあったとしてもある程度のサポートができる


そんな風に感じたのを
今でも鮮明に覚えています。

今日のお話はここまでにしますね。

今日もラストまでお読みくださりありがとうございます。

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