禅について
悟ったといって掴むと直ちにそれは迷いの世界に入る。絵に描いた餅になってしまうようで。
自分の問題には自分しか分からないので、道元の教え、今は現成公案を解説されたものを読んでいます。
著者によって色々な視点があるけれど、どうも共通しているように感じるのは、「ただ座る」「現状のありのまま」「操作しない(出来ない)」のように感じます。これらはあくまでど素人の見解であります。
仏教、特に禅ではその瞬間が大切だと言われるけれど、何かピンと来なかった。でも少し紐解いていくとどうやら、その瞬間、つまり今以外は、人間の観念が作り出した妄想という事らしい。
自分は長い間、自分を変えようとしてきた。けど、絵に描いた餅に更に色を塗ったり、メッキを貼ったりしてきた訳で。
今こことは、どうしようもない自分を認める。そして、どのようにして存在しているのか。全ては縁でしかなく、努力でどうなってきた訳ではない事が少しずつだけど、そういう扉もあるんだという事が分かった。
むしろ、今まで生きてきた世界が、人間が作り出した価値観の中で、それは親であったり、社会であったりした訳だけど、そういう他人の作り物の価値観、物差しで全てを測ってきたように思う。
現成公案や座禅には、宇宙の法則と理にかなったものを知る機会にはとても良いと思う。ちなみに自分は相当失敗をして、迷惑をかけて、自分がこのままでは通用しないという所にたっていた時(今も)なので、参考になるかはわかりませんが。
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