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どうせ歩くなら葛城古道02

59歳女が葛城古道を歩いた記録です。

橋本院から県道30号線まで下ってきました。
ここで一旦葛城古道を逸脱して
東南にある葛木御歳神社へ向かいます。
その距離2.5キロ。けっこうあるな。 (;'∀')

地蔵院入口から県道沿いをしばらく歩き
葛城防犯協会飛び出しガールの
右前方の斜めの道を入ります。

葛城古道 県道30号線 (奈良県御所市南郷)


葛城山系からは幾筋かの川が流れていて
東へ向かってゆるやかな扇状地になっています。
その谷間に鎮座まします住吉神社。
港があった?

住吉神社(奈良県御所市南郷)

ご祭神は住吉三神と神功皇后。
イザナギノミコトが黄泉の国から逃げてきて
禊を行った際に生まれたのが住吉三神です。

     上筒男命 (ウワツツノオノミコト)
     中筒男命 
(ナカツツノオノミコト)
     底筒男命 
(ソコツツオノミコト)

神功皇后の三韓出兵時に神威を発揮したことから
海の神として崇敬されています。

境内で休憩しながらルート確認。

水のある場所には集落が作られるもので
このあたりにも古代葛城氏の遺跡が点在。
総称して南郷遺跡群と呼ばれています。

という情報を今更ながらスマホでゲット。
おまけにすぐ近くには南郷遺跡の親分格の
極楽寺ヒビキ遺跡があるらしい。

ということでちょっくら行ってきます!

極楽寺ヒビキ遺跡
 御所市大字極楽寺にある5世紀前半(古墳時代中期前半)の豪族居館遺
 跡。北と東が谷に面し、南と西には濠と塀が巡らされていた。 
 大型建物跡の床面積は225平方メートルと5世紀代で最大級。
 古代豪族葛城氏の本拠地とされる南郷遺跡群の南部に位置し政庁の跡と
 推測。政庁の存続期間は20~30年。建物や塀はほとんどが焼失しており 
 り、葛城氏が雄略天皇の軍勢の攻撃によって滅びたとする『日本書紀』の
 所伝を裏付けるものとされる。

Wikipediaより抜粋

しかし
googleマップが示す位置がアバウトすぎて
ながらスマホ状態で行ったり来たり。
結局たどりつくことができず
それらしい場所で写真だけパチリ。

極楽寺ヒビキ遺跡の付近 (奈良県御所市極楽寺)


遺跡の近くに
デマンドタクシーの停留所がありました。

奈良県御所市南郷

このような停留所が
至る所に設けてあります。

朝から歩いててずっと不思議だったのは
かなり小さな道でも舗装されていて
車一台通行できるギリギリの幅が
確保されていること。
なるほどこういう事情なのかと納得。
地域の貴重な足です。

ようやく国道24号線まで下りてきたけど
信号がない。

国道24号線 (奈良県御所市東持田)

えい! 渡っちゃえいっ。
っていうか余裕で渡れました。

我が家の近くにも国道24号線が走っていますが
同じ24号線とはとても思えません。
片側2車線。かなりの交通量で常に渋滞。
こんな横断したら確実にひき殺されます。

東持田の集落に入ってきました。

奈良県御所市東持田

前方に見える川は葛城川。
橋をわたったら小殿の集落です。
子安地蔵が出迎えてくれました。

子安地蔵尊 (奈良県御所市小殿)


子安地蔵の前を右折して歩いていくと
ようやく前方に鳥居が見えてきます。

何だか窮屈そう。

葛木御歳神社(奈良県御所市小殿)

東持田の集落の南のはずれ
御歳山の麓に鎮座する葛木御歳神社。
「かつらぎ みとし」とお読みします。

周囲は工場や建築資材置き場が目立ちます。
ちょっぴり切ない気落ちになりました。

石段を登るとすぐに拝殿。

葛木御歳神社(奈良県御所市小殿)

ご祭神は御歳神(ミトシノカミ)
五穀豊穣、穀物の生長を司る神さまです。
お正月に大活躍される神さまでもあります。
もらってうれしいお年玉は
御年(神)の(魂)という意味だそう。

高鴨神社と同様に鴨氏の守護神であり
高鴨さんに対して「中鴨さん」と呼ばれています。
現在の本殿は春日大社の本殿第一殿を移築したもの。

春日造
妻入正面に庇がついているのが特徴

春日造


さて無事に二社目の参拝をすませたところで
書き置きの御朱印(300円)をいただくことにします。

が、財布の中には小銭が200円だけ。

迷った末(迷うな!)1000円札を賽銭箱に入れて
御朱印をいただいてきました。
どちらにしても小銭は必須!

さあ、次はミッション2。
室宮山古墳を目指します。


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