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【読書感想文:神様のボート】自分の光となる言葉を探す

江國香織さんの『神様のボート』という小説を十数年ぶりに読んだ。

昔、ママは、骨ごと溶けるような恋をし、その結果あたしが生まれた。“私の宝物は三つ。ピアノ。あのひと。そしてあなたよ草子”。必ず戻るといって消えたパパを待ってママとあたしは引越しを繰り返す。“私はあのひとのいない場所にはなじむわけにいかないの”“神様のボートにのってしまったから”――恋愛の静かな狂気に囚われた母葉子と、その傍らで成長していく娘草子の遥かな旅の物語。 

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「かならず戻ってくる、そうして俺はかならず葉子ちゃんを探しだす、どこにいても」

神様のボート

そう言って消えた恋人『あのひと』の言葉を信じて10年以上も転々と引越しを繰り返し、その再会を信じている葉子。そんな母に娘・草子は「ママは現実を生きてない」と言い、葉子の元を離れて寮のある高校に入学する。

この本が発行された1999年当時の携帯電話普及率は5割以下で、葉子もあのひとも互いの連絡先を知らない。インターネットも今ほど発達していないし、SNSもなかったであろう時代だ。両親にさえ居場所や連絡先を教えず、引っ越しを繰り返す葉子とあのひとの再会は今よりずっと難しかったに違いない。

それでも

自分を不幸だと思ったことはなかったが、でも、つまらなかった。生きていてもよくわからなかった。どうすればいいのか、どうしてもっと生きなくちゃいけないのか。あのひとに会うまでは。

神様のボート



という回想がある通り、それまで生きる意味を見出せなかった葉子の人生を一変させたのがあのひとだ。その人の言葉を信じ、希望や支えとして生きる葉子の気持ちは分かる気がする。

分かる気がするというか、憧れる。生きていく指針となるような一言があれば、自分ももっと生きやすいのではないかと。

そこで、葉子のように10年以上という長い年月に渡って、自分が拠り所としているような言葉があるだろうかと思い、記憶の糸を手繰ってみた。

10年経っても忘れられない不快な言葉ならすぐに思い浮かぶ。幼少期に言われたものから最近のものまでいくつも。嬉しかった言葉は忘れていくのに、不快な言葉はいつまで経っても覚えている。

信じたかったけれど、そうできなかった言葉もある。その一つが占いだ。「この辛い時期を乗り切れば評価が上がりますよ」という仕事運の占い結果にすがり、無理をして適応障害になったりもした。「そんなにも占いを盲信するなんて」と思われるかもしれないが、当時の上司の「何かあったら相談しろ」という言葉よりは、よほど信じられた。実際、相談など不可能で、他に縋るものがなかった。ちなみにタイムリープして全く同じ状況になったとしても、私はもう一度占いの方を信じる。

あとは、人生を語るような言葉で腹落ちするものがあれば、状況が目まぐるしく変わっていく中でも信じられるのではないかと、ことわざや格言を当たってみた。しかし、人生の希望を前面に押し出した言葉は「楽観的すぎでは」と全肯定できず、逆に悲観的な人生観については「何もそこまで悪く言い切らなくても……」と異論を唱えたくなる。

結局私はその時の自分の心情にぴったりと合う言葉しか、受け入れられないのかもしれない。それは自分を取り巻く状況が変われば、あっという間に信じられなくなる。

葉子にとってのあのひとの言葉のように、信じるための努力をしなくてもいいような、厳然とした真理がほしかったのだけど。そう思い、生きていく上での北極星となる言葉を探すのを諦めかけたころ、ふと頭に浮かんだのが、10年以上前に買った手帳に掲載されていた言葉だ。

当時の手帳を捨てた今でも、最初の一文だけは覚えている。

やりはじめないと、やる気は出ません。
脳の「側坐核」が活動するとやる気が出るのですが、側坐核は、何かをやりはじめないと活動しないので。

ほぼ日手帳 日々の言葉

この言葉が頭に浮かぶと、やる気は出ないけれど、とりあえず小さなことからでも行動を始めようと体を動かす。大抵の場合、最後までやる気は出ないままなのだけど、一歩を踏み出すための背中を押すには有効な言葉だ。

私の場合その一歩とは、日々の食事の準備にキッチンに立つことだったり、今現在着地に失敗する予感しかないこの文章を書き続けることだったりする。

この言葉を知るまでは、デメリット、どうしようもない苦手さ、やり始めた矢先に飛んでくる誰かの反対意見、やることの無意味さを諭す言葉、自分が設定したそもそもの目標に対して湧いてくる疑念などに、やる気を削がれては立ち止まって、再びやる気が起きるのを待っていた。

料理をすれば指は切るし、火傷はするし、時間を取られた挙句おいしくないものができることもある。元々文章を書くのは苦手で、前職の上司に「分かりにくい」と言われたことを思い出す。私にとって足を止めるには十分な理由だ。

でも結局、何もせずにやる気を待っていても、湧いてきた試しがない。

やりはじめないと、やる気は出ません

葉子にとってのあのひとの言葉のように人生そのものを照らす言葉ではないし、それに向かって生きていけばいいわけでもない。十数年後にはまた別の言葉が思い浮かぶかもしれない。

それでも今のところこの一言が、私が一歩を踏み出すための、足元を照らす光となっている。


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