「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」の感想(ネタバレあり)
2019年公開「ジョーカー」の続編。
結構評価が分かれている作品という事だけど、それも納得。
続編としてなかなか変なバランスの映画だったけど、個人的にはジョーカーではなくアーサーというキャラクターの行き着く先としては納得度が高くて、とても好きな作品になった。
まさかの続編
一作目が単体としてかなり完成度が高く、何が現実なのか?最後までこちらを試す様なラストの切れ味も完璧だっただけに、続編が作られる事自体がかなり意外だった。
観るまで、あの後の何をどう描いても蛇足になりそうだし、めちゃくちゃ続編を作るのが難しそうな作品だと思っていた。
そんな気持ちで鑑賞したけど、最近のアメコミシリーズ映画は前作を観てなくても、割と楽しめる作りになっている作品が多い中、今作は前作を観ておくのは必須な続編というか、前作のジョーカーことアーサーが起こした事件とは、どういうものだったのか?を改めて事件として裁判で振り返るというかなり地に足のついた展開で、アメコミ映画の続編としてかなり斬新だと思う。
ある意味、前作のアーサーの主観だからこそ面白かった映画を観てるこちらに、冷や水をかける様な展開とも言えるので、賛否が分かれているのも結構納得。
でもだからこそ続編として面白いと僕は感じた。
ラストは前作でジョーカーへと変貌し、ある意味アンチヒーロー化した彼を再び人間に戻して、自分のした事を受け止めさせるという、鬼の様にキツい話で、その苦味にグッときてしまった。
そして前作と同じく、主に主人公であるアーサーの目線で映画が進むのだけど本人の精神があまりに不安定なので、現実で実際に起こっている事との乖離もある気がして、その辺を常にこちらも考えながら観ないといけない気がする。
冒頭の傘がアーサーには違う色に見えているのが、もう信用出来ない。
今回特に印象的なのは彼の中に流れる「音楽」が、そのまま映像化されたミュージカルシーンで、今回のヒロインになるリーとのラブストーリーを描いている。
このミュージカルシーンが彼の自己満足の妄想なのが、前作の妄想していた自己満足コメディシーンと近い使われ方だと思う。
また面白いのがリー側とアーサーと同じ気持ちを実際に共有しているのか、あまりハッキリしない所で、中盤の彼女側がアーサーに対してついた嘘を問い詰める所など、結構アーサーとの気持ちの温度差があるシーンが多い。
ジョーカーなのか?人間なのか?
前作で元同僚だった小人症のゲイリーというのが、結構重要な役割を担っていたと思う。
アーサーが「君だけは優しかった」という言葉を前作で言うシーンがあったけど、今回彼からアーサーにそのまま返すシーンが結構グッと来てしまった。
法廷で明らかに馬鹿にされた視線を送られながらもアーサーに真摯な言葉をかけて、彼だけがアーサーを特別視しないで人間として接していた様に見えた。
その後、刑務所の中でも唯一アーサーに憧れていた青年が殺され、確実にアーサーの中で何かが折れる。
そして人を殺した事を悔い、ジョーカーとしての魂を売って人間に戻った事で、最愛のリーから見放され、人間として死ぬ事になっていく。
人間に戻っていく描写として象徴的なのが、前作で印象的だった踊りながら降りていた階段をラストにリーと会う為に再び登るシーンだと思う。
あの階段は前作で彼がジョーカーに堕ちた事をある意味で美しく表現していたと思うのだけど、そこを再び彼女に会いたい一心で登っていく。
あまりに惨めでカタルシスが無いし、ハッピーエンドじゃないけど、彼の人としてのけじめをしっかり描いているラストが僕は好きだった。
そう考えると、自分のジョーカーという影だけが暴走していく様な最初のアニメシーンが今作の内容をかなり示唆していたのだと改めて思った。
演出面の上手さ
前作から引き続きやっぱりホアキン・フェニックスはじめ、今回から登場のリーを演じたレディ・ガガや役者陣の演技はみんな素晴らしいし、撮影や演出もかっこよくて、どのシーンも一級だった。
特に演出で最高だったのが、予告でも印象的に使われていた、リーがガラスにリップを塗ってピントがアーサーに合うと、それに合わせてジョーカーのメイクになるシーン。
ここは画的にもカッコいいだけじゃなく、ガラスの外側からジョーカーとして囃し立てる世間や彼女との関係性を見事に象徴してる感じでめちゃくちゃ素晴らしいシーンだった。
この辺の演出面の上手さに関しては流石はトッド・フィリップス監督という感じ。
あと観てるこちはを楽しませるものじゃなく、アーサーの自己満足の為の絶妙に心踊らないミュージカルシーンの数々もどれも味わい深くて面白かった。