心が辛くなったときの対処法
私事でたいへん恥ずかしいのですが、最近のある夜、大泣きをしてしまいました。
日々生活していると、様々なことが降りかかってきます。
性別、年齢、立場、肩書は一切関係がなく、容赦もありません。
無論、何に対して辛いと感じ、その辛いことにどれだけの期間我慢が
できるかは人それぞれですから、全ての人間が、同じだけ辛い思いをしているとは思いません。
それでも、辛いことは辛いのです。
全てを投げ出したくなることも、時にはあるのです。
その夜、ついに全てを嫌いになりました。
苦しくて苦しくて、眠れなくなるのではと思いましたが、
同時に、このまま眠って、目が覚めなければいいなとも思いました。
誰にも相談できませんでした。
原因となったことが起きたのは、一年前のことです。
それでも、あんなに泣いたのは、例の夜が初めてでした。
張っていた細い糸が、切れたような感覚だったと記憶しています。
糸が切れた瞬間、その糸を底にして溜まっていた大量の涙が、
ダムのように、一気に流れ出したイメージです。
一度切れてしまった糸は、そう簡単には修復できませんから、
この際全て出し切るしかないのです。そうして私は、何時間も泣きました。
こうして文章にしてみると、とても情けない気がしますが、
そのときは、無抵抗に泣き続けるほかありませんでした。
心が辛くなったとき、どうしていますか?
不思議なことに、たくさんの経験を積んでいる
大人になればなるほど、このようなときに堪えます。
何も知らない子どものときの方が、遠慮なく誰かに頼ったり、
自分で考えて解決できていたような気がします。
当然、大人と子どもでは、抱く悩みの大きさや深さに
決定的な違いがあることは理解しています。
それでも、子どものときのように、素直に曝け出し
吐き出せたなら、どんなに楽かと思います。
様々なしがらみが増え、対応しきれず、処世術を失っている大人たちは
どのように困難を乗り越えてゆけば良いのでしょうか。
私はあの夜、その答えを知りました。
それはただただ「一旦、子どもに戻ってみる」ことです。
そんな馬鹿な、と思ったでしょうか。
それができるのならば、とっくにしているという声も聞こえてきそうです。
確かに、子どもに戻るにしても、限度があります。
我儘な、裸の大将のような子どもになるのではなく、
あくまで自分で責任の取れる範囲内で
"自分の心に素直になり、思うままに行動してみる"ということです。
迷惑かもしれないと考えず、遅い時間に友人に連絡をしてみました。
隣の部屋のことは一旦気にせずに、好きな音楽をかけ、
暴れるように踊ってみました。
そうしてお腹が空いたら、ずっと我慢していた家系ラーメンを食べに出かけました。
帰りに、同じく我慢していたパピコを買いました。
今度は我慢せず、帰り道の途中で食べ始めました。
帰宅してからも、誰に催促されることもありませんが、
駄々をこねる子どものように、お風呂に入らずにゲームをしました。
ゲームに飽きたら、今度は残していたパピコの片割れを食べました。
ようやくお風呂に入った後も、テレビを観たりと、
翌日の仕事のことは考えずに、意味もなく夜更かしをしてみました。
そうしているうちに、あまりに我慢せず好き放題している自分に、
自然と笑えてきたのです。
翌日鏡を見てみると、顔がパンパンに腫れていて驚きました。
当然のことです、大泣きした後に、塩分の高いものを食べて
夜更かしまでしたのですから。
悩みの種は、現在も無くなってはいません。
それでも、あの日を境に、とても小さな存在になりました。
ファンタジーの世界であれば別ですが、現実の世界では
一度大人になってしまったら、子どもに戻ることはできません。
それでも「自己責任とお金」を使って、子どものように適度に我儘になることは
大人になればこそ、できることなのです。
心が辛くなった時はどうか、皆さんも存分に大人による子どもを楽しんで。