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人生のステップを踏むと見方が変わる映画②

人は生きていれば何かしらのステップを踏んでいくこと、そして、「人生のステップを踏むと見方が変わる映画」が存在することは、前の記事ですでに触れているので、今回はそのことを前提として早速映画の紹介に入っていきたい。

ラストエンペラー(監督・ベルナルド・ベルトルッチ/1987年)

イタリア、中国、イギリス、フランス、アメリカの合作である本作。
清王朝最後の皇帝で、満州国の皇帝にもなった愛新覚羅溥儀の生涯を描いた歴史映画だ。
本作は、人の理不尽さや、抗えない事実を身を以て体験(理解)すると深みを増す映画であると考える。

最初に観たとき、というより、初回は最後まで観続けられなかった。
ゆったりと進んでいく映像に、私は愚かなことにこんな印象を抱いた。

<淡々としていて、睡眠導入剤のよう。正直つまらない。うーん、強いて言うなら中国のお城かっこいいー!>

では、本作をなぜもう一度観ようと思ったか。
それは、私が敬愛する小説家・山崎豊子の「二つの祖国」を読んだからだ。
「二つの祖国」は、日本人でありながら、移民として戦時下をアメリカで過ごした日系二世たちに焦点を当てた、史実を基にした小説だ。
この小説の主人公は、日本語と英語を操ることができることから、東京裁判に通訳として入る。そこに招聘された証人のうちの1人に、愛新覚羅溥儀がいた。
「昔観たラストエンペラーの人か!」その小説で本作の存在を思い出した私は、
なんとなく、東京裁判で証言をすることになった彼の人生に、再び興味を持ったのであった。

愛新覚羅溥儀の幼少期シーン(リチャード・ヴゥ)

<事実は小説よりも奇なりとは、まさにこのことだ。数奇の人生を歩まされた一人の人間の軌跡を辿るだけでなく、その人の心にも正面から向き合った作品だ。>

本作は確かに、基本的に静かで淡々としている。
しかし、その静かで淡々としていることが、本作の魅力の一つと言えるのだ。
溥儀の数奇な人生と、単調な映像のギャップが、観るものをグッと惹きつける。
そもそも、たった2歳で本人の意思に関係なく、一国の皇帝に任命された人が実在したことを、誰が信じられようか。
幼い子は寵児として持て囃された短い皇帝の時期を経て、青年になり、そして大人になった。
しかしいつの時期も、彼は時代の波に飲み込まれ、成す術なく流されていたのであった。

成人後の愛新覚羅溥儀(ジョン・ローン)

本作では、その中でも溥儀は確かに、一人の人間であったことも我々に分からせてくれた。
”一人の人間であったこと”。そりゃそうだと言われればそれまでだが、彼はあくまで我々にとっては歴史上の人物の一人だ。
世界史の教科書に見る、プリントアウトされた彼の顔はどこか、想像上の人物にも見えてしまう。遠い昔の、”歴史的な何かをした人”。そんな認識に留まってしまいそうになる彼のことを、本作は彼の心情の機微を要所要所で丁寧に描くことで、阻止してくれた。
我々と同じ感情を持ち、理不尽や孤独と戦った一人の人間として認識させてくれたのだ。

何度も言うようだが、彼は中国の激動の時代に生かされた人間であった。
ところが彼は、その中で誰よりも理不尽や人という生き物を見て、向き合った人間でもあるのではないだろうか。


1997年生まれ、丑年。
幼少期から、様々な本や映像作品に浸りながら生活する。
愛読歴は小学生の時に図書館で出会った『シートン動物記』から始まる。
映画・ドラマ愛は、いつ始まったかも定かでないほど、Babyの時から親しむ。
昔から、バラエティ番組からCMに至るまで、
"画面の中で動くもの"全般に異様な興味があった。
MBTIはENFP-T。不思議なまでに、何度やっても結果は同じである。
コミュニケーションが好きで、明朗快活な性格であるが、
文章を書こうとすると何故か、Tの部分が如何なく滲み出た、暗い調子になる。(明るい文章もお任せあれ!)


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