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10月スタート新ドラマ「若草物語」の期待度

10月スタートの新ドラマの第1話を観て、個人的な期待度について語ってみようと思う。

今回紹介するのは日テレ夜10時半スタート「若草物語」

「世界中で150年以上愛され続ける”四姉妹の物語”が令和ニッポンに蘇る!」
宣伝文句の一つとして掲げられている文言だ。ドラマタイトルの通り、原案はルイザ・メイ・オルコット著「若草物語」のようである。

昔、祖母の家でこの表紙の「若草物語」を読んだ

あの「若草物語」ではない

ところが、大抵の人は察しがついているだろうが、あの「若草物語」とは全くの別物である。もはやオリジナルストーリーとして捉えた方が良いくらいだ。
原作との共通点は、四姉妹であることと、姉妹の心の成長を描くストーリーであることのみ。
若草物語は世界中で映像化され、リメイクもされているが、それらと比べても、今作は一番原作から遠い作りになっているのではなかろうか。

日本を舞台に現代アレンジするにしても、こうはならんだろう。と思わざるを得ない。
例えば原作の四姉妹の性格はバラバラで、それ故の違った悩みを抱える。
しかし本作は、堀田真由が演じる次女・涼(りょう)の性格が”クセ強”すぎる。そのため、彼女以外の登場人物の抱える悩みが小さく見え、目立たない。あくまで引き立て役のポジションに落ち着いてしまっているように思えた。
回が進むにつれ、次女以外にも焦点が当たっていくのかもしれないが、今のところ期待は薄い。さらに、原作の姉妹と本作の姉妹は、性格の特徴も違えば、悩みの種類も違う。別物になって当然である。

つまり、あの「若草物語」の現代版リメイクだと思って観ると、自ずと評価は下がる。
全くのオリジナルストーリーと捉えるとすれば、観続けることは可能だ。

私は原作ファンというわけではないので、違和感を覚えた程度で、そこまでがっかり感はなかった。
別物のオリジナルストーリーとして、2話以降も様子見してみようと思う。

メッセージの伝え方が強引すぎる

先ほども触れた、クセ強な次女・涼は、恋愛をしないと決めているようで、その決意に頑固だ。「恋愛しないともったいない」「いい人いないの?」などの恋愛に纏わる言葉に異様なまでに反応を示す。
そして「恋愛しないとダメなの?恋愛が全てではない!!」と反論する。
いや、そこまでは言ってないって。と、テレビの中の人と、テレビの前の私が口を揃える。
言いたいことはわかる。無論、恋愛しないとダメとか、もったいなんてことはないし、その価値観は人それぞれで、自己に決定権がある。恐らくこのドラマが涼を通して伝えたいことはそんなところだろう。
しかし、涼の反論があまりに激しく、ちょっと落ち着けって…とこちらが冷静になってしまう。言いたいことは分かるし、共感もしたい。しかしどうも共感しきれないというもどかしい現象が生まれる。

ブーケトスすら絶対に受け取りたくない涼

劇中に、涼と対立関係にいる男性脚本家が登場する。生瀬勝久演じる脚本家は、自身が執筆するドラマ脚本の中に、恋愛要素を含ませたいと考え、多くの女性の気持ちを代弁すべく台詞を考えるわけだが、例の如く涼がそれに猛反発する。
そこで涼に対して、「君のような考えの女性もいるだろうが、このドラマの登場人物のように考える女性が今のところは圧倒的に多い。共感の得にくいものを君一人の意見で採用するわけにはいかない」と反論する。
正直我々視聴者は、その通りだと思ってしまう。対立構造になっているので、すごく嫌な奴かと思いきやそうでもなく、むしろ真っ当なため、視聴者の中で対立構造が不成立になってしまい、ドラマに置いて行かれてしまうのだ。

頑固な涼はどう変わる?

ここまで、言いたい放題言葉を並べたが、私は2話以降も観る予定だ。
というのも、これはドラマなので、涼は例えば素敵な男性に出会うなどして、意見を変えていくのだろうと思う。頑なに自分の意見を貫く涼の心がどのように変化していくのか、見てみたいと思う。
さながら、実験結果を見守るような気持ちだ。


1997年生まれ、丑年。
幼少期から、様々な本や映像作品に浸りながら生活する。
愛読歴は小学生の時に図書館で出会った『シートン動物記』から始まる。

映画・ドラマ愛は、いつ始まったかも定かでないほど、Babyの時から親しむ。
昔から、バラエティ番組からCMに至るまで、
"画面の中で動くもの"全般に異様な興味があった。

MBTIはENFP-T。不思議なまでに、何度やっても結果は同じである。
コミュニケーションが好きで、明朗快活な性格であるが、
文章を書こうとすると何故か、Tの部分が如何なく滲み出た、暗い調子になる。(明るい文章もお任せあれ!)

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