自己肯定感ってなんですか。
このnoteを見ている人に問いたいのですが、「自己肯定感」ってなんですか。
こう問いかけているということは、もちろん僕はそんなもの持ち合わせてはいません。
もっと正確にいうと、気にしたことがないです。
ただ、よく周りのひとが言う”自己肯定感が高い人”と僕はあまりにもかけ離れているので、
僕はおそらく”自己肯定感が低い人”なんだろうなとは思います。
先日、オトナの方々とお食事させて頂く機会がありまして。
そこで「自己肯定感」の話になりました。
オトナ「君は自己肯定感高いの?」
僕「いや全く自己肯定感ないんですよね。。。」
オトナ2「え、そんなにお喋りが上手でいろんなこと考えているのに?」
僕「いや今おっしゃられていることの真逆の人間なんですが。。。」
オトナ3「え、見た目もいいし、凄い行動しているのに?」
僕「モテとは程遠い人生ですし、”行動”というかただ興味に人生全振りしてるだけでお先真っ暗なんですが。。。」
というようなやり取りがあとオトナ5まで続きました。
もちろん、「自己肯定感」の話はそのお食事の中のほんの一部であり、全体としてはとても有意義な時間だったなと思っています。
しかし、翌朝になっても「自己肯定感の疑問」が晴れませんでした。
ということで、「自己肯定感」ってなんなのかという壮大な問題を考えていこうと思ってこのnoteを立ち上げたのはいいものの、、、
着地点が全くみえないという緊急事態に陥ったため、ぜひこのnoteを見てくれた方がいればぜひご意見お聞かせいただければ幸いです。
ネットでリサーチしてみた。
わからないものはとりあえずググる。
そういう風潮で育ってきた私は、誰かからみたら愚かな現代人なのでしょう。
しかし、そんな批判はさておき一旦リサーチしてみました。
Wikipediaにて
調べたら、コピペ。
21世紀しか生きたことない僕の処世術です。
”肯定”に行きつくというのが、キーワードですかね。
うん、所謂ポジティブ思考に近いのかなという印象を抱きました。
もうちょっと深堀って、英語版Wikipediaを参照しました。
社会心理学で研究されるような理論で、自分を肯定することで自己を脅かすような情報や経験によるストレスを対処することに繋がると言われているそうです。(Wikipediaのabstractだけで留めておきます。)
実際に学校の成績向上や健康増進にも繋がると言われているそうで、このあたりの研究は詳しくレビューしてみたいなと思いました。
なぜなら、自己を肯定するというのはどういうメソッドなのかという点や、考えられる交絡因子はなんなのかという点は、これらの研究を読み解く上で重要だからです。
Wikipediaさんのお力を借りましたが、なんか”自己肯定”についてはわかりましたが、よく日常的に想起する「自己肯定感」に触れたような気はしないですよね。
よく「自己肯定感」って”高いー低い”というようなベクトルで語られるのが多いじゃないですか。
「自分を肯定することで、ストレスに対処する」と言われても、そこに”高いー低い”のような視点があるかどうかはわかりませんよね。
よりもっと日常的に使われている「自己肯定感」に近づけるように、もうちょっと深堀ってみました。
Google scalarにて
(調査方法は完全に僕の独断と偏見によるピックアップです。
3ページざっと見てみて、このnoteを着地するうえで一番使い勝手がいいなと思ったものとなっております。ご了承下さい。)
Google scalarにて、「自己肯定感」と検索してみました。
そこで、この文献を見つけました。
・「大学生の自己肯定感における対人関係の影響 : コミュニケーションを重視して」吉森丹衣子 国際経営・文化研究 Vol.21 No.1 December 2016
(👆のURL先のサイトから、PDFがダウンロードできるのでぜひちょろっと覗いてみてください。)
introductionがすごくまとまっていて、「自己肯定感」について一気に知りたい方は参考にするといいかもしれません。
そして、この研究では「自己肯定感」「対人関係における不安」「コミュニケーションスキル」「サポート」の4つにおいて尺度を用意し、アンケート調査を行ったそうです。
それらの結果を重回帰分析しあったところ、「自己肯定感」は「対人関係における不安」「コミュニケーションスキル」の尺度に影響を受けるそうです。
「対人関係における不安」の低さ(他者からの承認)と「コミュニケーションスキル」の高さという要素で、ある程度「自己肯定感」が推測できるというのがこの研究の考察で述べられています。
論文内でも言及されていましたが、「自己肯定感」はどうやら対人関係の中で生じるそうです。
Social Baseline Theoryというものもあり、社会的なつながりを基軸とする我々であるが故に「自己肯定感」を巡る問題が出てくるのでしょう。
自己肯定とメタ認知
とまあ、堅苦しい構成になってしまったことについてはお詫び申し上げます。
ここから僕自身が「自己肯定感」に対して抱く引っ掛かりについて考えていきたいと思います。
タイトル通りではありますが、僕の引っ掛かりの正体はメタ認知との折り合いが個人的についてないというものです。
恐らく最初に登場したオトナの方々は折り合いがついているのでしょう。いや、僕以外の方々はほとんど無意識に折り合いついているのでしょう。(そう思っておくことにする)
思春期を引きずりすぎているのか、未だに僕は折り合いがつきません。
ダニング=グルーガー効果ってご存知でしょうか。かなり有名ですね。
彼らの研究や主張に関する批判等はあり、それはそれで議論の価値があり面白いのですが、今回は割愛しておきます。
(Wikipediaを参照するのが手っ取り早いので、こちらをクリック🔍)
最初にWikipediaで記載されていた通り、自己への脅威に対するというのが、「自己肯定感」のキーワードです。
そういう意味でいうと、いくら公平かつ確からしいとしても自分への”評価”が悪かったらそれは心に堪えるものがあります。
ダニング=グルーガ―効果での、テストスコアが悪い人ほど自己を過大評価するというのは、ある種「自己肯定感」と言えるのではないでしょうか。
”肯定”と”評価”は全く違います。
しかし、結局は自己がどう解釈するのかということに行き着くのだとしたら、過大評価というのもネガティブだけではありません。
個人的にダニング=グルーガー効果を読み解く上で重要だと思うのが、
指標がテストスコアという限局された規定であるということです。
僕たちが生きている日常生活のなかにはそのような限局された規定は数少ないと思います。
つまりカオスな世界の中においては、何を考えるのにも、どんな行動をするのにも規定はなく、大きく捉えると評価しにくいものであると思います。
僕が「自己肯定感」が低いと相対的に言える理由として考えられるのは、
僕は”何か”小さい規定を自分に謎に課しているから。
別に誰に頼まれてもない小さい規定をもとに生きているから満足度が少ないのでは。
加えて僕の規定はかなり面倒なもので、様々な分野が入り組んでいるかつ膨大な幅を要しています。(これは凄く感覚的なので伝わりにくいと思います。すみません。)
本来”肯定”とは、規定などなく、自分自身をありのままを見つめることなのかもしれないですね。
だから、自己肯定感が高いと低いとかっていう規定じみたベクトルはなくて、ある種のマインドフルネス的な、全体的な視点が「自己肯定感」なのかもしれません。
はい、今回の着地点は!
ここまでたらたらと書いてきた中の着地点は、
「自己肯定感」は、自分自身を見つめようとする姿勢。
なのではないかと思いました。
所謂、「自己肯定感が低い」っていうのも僕は素敵なことだと思います。
自分自身なんて流動的で、昨日と今日で食べたいものって違うじゃないですか。
だから、その瞬間自分自身を見つめようとしたときに「あ、今日ちょっと肯定できてないかもな。だから低いかもな。」っていうのもあるんじゃないと思います。
一番は、「自己肯定感は高くてなんぼじゃ!」みたいな小さい規定を課してくるやつといかに距離を取るかということだと思います。
長ったらしく書いてきましたが、まだまだ文献リサーチも不十分ですし、学術的な議論がもっと激しくされているであろうテーマなので、またこれからも考えていきたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。