「想像力」note第2弾!!あなたの「想像力」は主観的?客観的?
以前お世話になっていたホテルのフレンチレストランで働いていた時のこと。
僕はいつも通りお客様のもとへ料理を運び、料理の説明を始める。
「本日の一品目は〇〇です。この料理は△△をメインに使い、□□のソースを使用した一品です。△△は▲▲県産のものを。□□のソースは■■な方法で仕上げたソースです。〇〇という料理名はそもそもこんな意味合いがございまして、、、」
そうすると大抵のお客様から
「素敵なお料理のプレゼンね!食べるのが楽しみになっちゃうわ!!」
「君の説明のおかげで料理を美味しく食べられたよ。」
なんてお褒めの言葉を頂くことが多かった。
この体験が僕の接客の土台になっていった。そして得意気に料理の説明をするようになってからしばらくが経った。
ディナーが始まる前にホテルの料飲マネージャーから呼ばれた。なにごとだろう?と思いながらも、マネージャーのもとへ行くと
「君に対してクレームが届いていたよ。長文のメールがホテル宛てに送られてきていた。同じ人から3通くらい届いてたかな。まぁ掻い摘んで話せば、自分達が知ってることを得意気に長々と語ってる若い男性スタッフがいて不愉快だったという内容だ。」
これまでクレームを1度ももらったことが無かった。むしろアンケートでは名指しをされてお褒めの言葉を頂くことの方が多かったので一瞬何を言われているのか、自分に対して言われていることなのか、分からなくなった。
「これだけの長文で、しかも3通もクレームを送ってくる人は普通の感覚の方ではないだろうから、気にすることはないよ。君はよくやってるよ。ただ、こう感じるお客さんもいるんだってことを知っといてもらいたいと思い、今君にこうして伝えた。」
その日のディナー営業。
お客様に料理の説明をするのが怖くなった。
今の説明で良かったんだろうか?
お客様はどう思っただろうか?
説明がまた長すぎたか?
その日以降も特に自分の中で解決できないまま、時間だけが経ち、その時の恐怖感は段々と薄れていく。気がつけばまた同じ料理説明をしていた。だって多くのお客さんはこの説明を喜んでくれていたから。
いや、自分が勝手に喜んでくれていると認識していたから、と言うべきなのかもしれない。
*
僕はコロナ期間に「想像力」をテーマに読書をしたり、ネットで調べたり、動画を見たり。様々な方法で勉強をしていた。そのアウトプットとして少し前にnoteを書き上げた。
このnoteではそもそも「想像力」とはなんなのか。というところにフォーカスし、書き上げた。結論だけを伝えると
「想像力」=人間の欲求を満たすチカラ
と定義づけた。詳しく知りたい方はぜひとも一度読んで頂けると嬉しい。
今回はその第2弾として
【 「想像力」の働かせ方 】 についてを述べていく。
「想像力」を働かせているつもりの人達
冒頭で語ったのは僕自身が実際に経験した話である。「想像力」が使えていない良い例であり、今も尚、僕自身が「想像力」をまだまだ使いこなせていないという自戒も込めて綴った。
多くのサービスマンが「想像力」を働かせているつもりでいる。自分もその1人だった。人は、日々同じリズムで仕事をしていると、どうしても慣れが出てきてしまう。この慣れをきちんと言葉で表すとすればそれは
「お客さんはこうすれば喜んでくれる」と一括りに考えてしまうことだ。
レストランで働いていれば、冒頭で話した僕と同じように、お客様が喜んでもらえる経験を必ずどこかしらで体験するはずだ。そしてそれが段々とその人の土台になっていく。日々の経験から、お客さんはこうすれば喜ぶのだ。と徐々に刷り込まれていく。
しかしながら、皆さんお察しの通り、これが大きな間違いなのだ。当たり前だがお客様は一人一人違う。
何を楽しみにレストレンにいらしたのか。
今、なにを求めていらっしゃるのか。
これは我々が一長一短に判断できることではないのである。
それなのにも関わらず、お客様に関心を向けることもなく、今までのお客様が喜んでくれたのだからこの人も喜ぶだろうと勝手に判断をするようになってしまう。これはお客様が気持ちよくなれるサービスではなく、自分が気持ちよくなれるサービスになってしまっているのだ。
実際僕もそうだった。自分が得意気に料理を語ってお客様に褒めてもらえることが気持ちよかったのだ。今目の前にいるお客様が本当にそれを求めているのか、なんて考えたことがなかった。
自己満足型のサービスマンはこうして出来上がる。
「想像力」の真のあり方
結論から言うと、「想像力」を働かせるためには
【関心力(観察力)+仮説力】が必要である。
経験値は確かに必要であるし、大事である。がしかし、経験が積み上がってくると人は経験則のみで判断するようになってしまう。会社にいるお偉いさん方が、自分の成功例を部下に押し付けてくるのと同じように。
経験則で語る=頭は全く使っていない
つまりそこに「想像力」は一切働いていないことになる。
経験は活かすものであって頼るものではないのだ。
我々サービスマンの場合は、今、目の前にいる1人のお客様が何を求めてこの場所にいらっしゃったのか、をレストランにいらした瞬間、席に座った瞬間、メニューを手にした瞬間、ドリンクを頼んだ瞬間、乾杯される瞬間、その後の会話からなど、あらゆるところに散りばめられているヒントを観察し、拾い上げていく。
→【関心力(観察力)】
そして今度は拾い上げたヒントをもとに、今日は何かの記念日でいらしたのか、普段からお酒を嗜んでいる方なのか、久しぶりの休暇でゆっくりしようといらしたのか、食べることが好きなグルメな方なのかなど、様々な仮説を立てることが出来る。
→【仮設力】
【関心力(観察力)+仮説力】
これらを駆使し、お客様の真の欲求を満たしていく
=「想像力」を働かせるということなのである。
主観的と客観的
今回の「想像力」note第2弾では自身の経験をもとに、経験則から判断してしまう【主観的想像力】と、関心力(観察力)と仮設力を駆使して行う【客観的想像力】についてお話をしてきた。
「想像力」とは自分の中で働かせるチカラであるため、多くの人が主観的に捉えてしまう。しかし、主観的に捉えてしまった時点でそれはもはや「想像力」と呼べる代物ではなくなってしまうのだ。
「想像力」note第1弾で
「想像力」とは、人の欲求を叶えるチカラである
とお伝えした。今まで人の欲求を叶えてきた人達や会社は多くの人の意見を参考に客観的に捉え、こんなニーズがあるんじゃないか?逆にこれは邪魔なんじゃないか?と必死に想像し、結果、多くの人々の欲求を満たしてきた。
仕事だけではなく、日常生活でも「想像力」を働かせることのできる人というのは、友人関係、恋愛関係、夫婦関係、あるゆるところで恵まれた生活を送ることができる。
あなたの「想像力」は主観的だろうか?客観的だろうか?自分だけが気持ちよくなっていないだろうか?まずはここから考えてみることが「想像力」を正しい方法で働かせる1歩目になるでしょう。
「想像力」note第1弾はコチラから
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