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あさはかでうすい

物事の全体像は常にピラミッド構造になっている。初めは皆底辺からはじまって、もちろんこの層が最も多い。その事柄につき深く踏み込んでいき熟練度が上がるにつれ、人数の少なくなる上の層に足を踏み入れるが、この層においてはまた底辺からのスタートとなる。その層においてトップを取って気持ちよくなったとしても、上の層に足を踏み入れることでまた底辺の気持ちを味わい、上には上がいるということを嫌というほど体に染み込まされ、必然的な挫折を経験することとなる。この恐怖で人は挑戦をやめ、自分のいる層のトップという地位をもって下の層を見下す発言をしては、挑戦を続けられなかった自分という劣等感を心の底に押し殺すために、自分の地位を確かめるために他者を馬鹿にすることを続けていくのだ。
 小学1年生から続けていたサッカーをやめた。県選抜に選ばれチームではずっとエースを務めてきたサッカーをやめた。キラキラした大学生活を夢見たからだ。
陽キャなイメージとイケメンが多そうというサッカー部のブランド力に加え、顔は悪くないし身長も178センチという見た目から、中高は女に困ったことはなかった。現役時代は第一志望に行けなかったため浪人を決めた。要領もよかった。ただ引退してから受験までの期間が短すぎただけで、どんどん成績は伸び、現役時代は大阪大学にしていた第一志望を京都大学に変えた。
 サッカーをするか迷った。人生のあらゆる事象に対して自己の持つ才能が手に余り、なんとなく苦しいという感情はあるものの、心臓が雑巾絞りにされるような捻じ曲がる辛さを味わうことはなく、挫折というものがどのようなものなのかわからないまま人格形成期を終えてしまった。他人を羨んだことがない。常にニコニコしながら、相手から発される言葉に対し、言語能力司る脳の部位に今までストックしてきた中から適当な言葉を引っ張り出して、それっぽいトーンでこれを口から零せば、友達も女も先生も親もコーチも、全員が自分を気に入ってくれた。
キャンパスでビラを配る大学生は輝いていた。明るい髪色に明るい声、笑顔。春の淡い空気と暖かさのせいか、それは白飛びして薄く遠い光景として瞳に映った。この人たちがこれから挫折を味わうことはあるのだろうか。努力も挑戦も継続も向上心もエネルギーが必要で、これは学生のうちまでは増えていく。もっとも、学生の終わりを境にエネルギーは下降していき、それからというものは、現状に満足する言い訳を浮かべる能力ばかりが成長し、納得できない現実に対し仮定的な抗弁ばかり並べて、プライドだけが誇大した自己の同類と地位を確かめるための馴れあいをするだけだ。
声をかけられたテニサーの新歓に行った。パッチリした目に茶髪の巻き髪、白い肌に薄ピンクのリップと、ひらひら揺れる白のマーメイドスカート、それにほんのり香る石鹼のような香水の匂いから、新歓に現れた女子大の女たちに、五官のうち視覚と嗅覚を即座に奪われた。女たちとの会話は全く覚えていないけれど、高校にはいなかったレベルの女が自分を見る羨望の目が心地よくて、あと先輩たちのギャグセンの高さに感心しながら、なんとなく流れで入会を決めていた。サッカーに対するこれまでの思い出も熱も、重りのついた曖昧なものになって、重力に任せながら自分の心の海の底にゆっくり沈んでいくのを感じた。



 そのまま流れに任せ大学生活は過ぎていった。人生の夏休みといわれるに相応しく、楽な単位を先輩から教えてもらい雑な出席確認だけ済まし、学科の友達の紹介で入った居酒屋のバイト先で脳死ルーティンワークをする平日に、サークルの飲みやイベントだけに参加し三条大橋で潰れる週末。この繰り返しだった。 
デルタで手持ち花火をした夏、隣にしゃがみこんできた女の、線香花火に照らされ赤らんでいるように見えた頬と、潤んでいるように見えた瞳の、普通の20そこらの男なら気持ちが昂るその状況を、全てがぼんやりと形のない曖昧な事象として捉えた。パチパチと手元でなるおよそ男女の仲を最も近づける小さな火種の音と、その顔に良く似合った口から発される少し甘さを帯びた透明な声に対し、言葉というにはあまりにも意味のない音の羅列を、条件反射的に空気に乗せて返していた。石畳みで花火を両手に持ちながら笑っている同期の声と、鴨川の流れる音が混ざり頭で反響し、目に映る明るい火の輝きと、夏夜の闇とのコントラストを瞳に映しながら、完全に思考停止した日々の副作用である浮遊感を覚えた。ふと頬を撫でた生温い風が、無意識のうちに腐っていく魂を哀れんでいるように感じた。
就活が本格化して、いろんな企業の偉い人の話をたくさん聞いた。感嘆することはあっても、本当にただの他人事のように自分には捉えられ、憧れというものを抱くことはなかった。クールな顔と理路整然とした話し方の奥に潜む熱意というものを感じるたびに、それと反比例して関心の熱は冷めていった。しかしやる気がないからといってだらけることはなく、感情とは分離したものとして、やるべきことを明確化し潰していく作業を、日々の生活に落とし込むだけだった。
クリスマスも年末年始もバレンタインも3月の誕生日も、サークルでできた彼女と過ごした。阪急電車の桂から高槻までの田舎の風景が好きだった。まだその背には大きいグローブを身に着け、父親らしき人とキャッチボールをしている野球ユニフォームを着た兄弟や、手袋とネックウォーマーを身に着け、籠に入ったサッカーボールを揺らしながら自転車に乗る三人組を、暮れるのが随分早くなった夕焼け空がセピア色に染め上げ、その光景を古い映画フィルムが流れるようにぼんやり見つめていたら、隣に座る彼女に顔を覗き込まれた。そのまま肩にもたれかかってきた彼女の小さな頭を見て、曖昧な感情しか湧き起らないまま、また移りゆく窓の景色に目を移した。
クリスマス気分で浮かれた梅田の駅の雑踏を何とか抜け出し、御堂筋線に乗り換え本町で降り、阪神前交差点の色とりどりのイルミネーションが輝く道を歩いた。多くのカップルを照らす明るい電子光の中で、厳しい寒さも愛情という実体のないものの道具に使われ、ふわふわと浮足立つむず痒い空気を肺に取り込む度に、サッカーグラウンドを何周も走らされ、手を抜きたくともプライドがそれを許さず、吐きそうになりながら毎回ボールタッチに入っていた、厳しさに耐え抜いてきたこの肺が、廃れて萎んでいくのを感じた。時々繋いでいた手を放し、後ろに下がって自分を撮る彼女を、小動物に向けるような慈悲は湧き上がるものの、その小さな体から溢れる多幸感に包まれたオーラを感じるたびに、就活の時と同じように心が凪いでいくのを感じ、ニコニコしたまま彼女好みの決まりきった反応をするだけだった。
四年生になってからとった少人数クラスの授業にいたサッカー部の主将と仲良くなった。考え方の違う同期部員の意見をうまく調整するのが難しいこと、不作の年と言われてきたことを見返すためにも結果つけたいこと、それに反して自分の調子は上がらないため発言とプレーが一致せず自信が無くなりそうなこと、しかしそんな姿を見せてはいけないこと、たくさんの話を聞いた。主将というのはある程度は鈍感であった方がいい。あまりにも多くの事柄を処理しなければならないため、敏感すぎると自身の心がやられてしまう。高校と違い自治の部分が大きい大学の部活ならなおさらだ。彼はその点につき非常に優れていたし、主将として完璧だったように思う。主将の属性において、プレーで引っ張るタイプと人間性で引っ張るタイプの二種類のうち彼は後者寄りであったが、華やかなプレーはないもののミスの少ない堅実なスタイルとコート上の精神的支柱であったことからスタメンを外されることはなかった。またその人間性は、自分に妥協せずストイックな考え方を持ちつつも、それを昭和のスポーツ根性論のように他人に押し付けることはなく、ただ他人の調子や感情変化によく気づき、深く介入することはない適度な言葉かけで、悩む者が一人で落ちていかないようにまた平等にうまく処理していた。芯を持った自分がありつつ多様な考えを受け入れ、多くを主張せずともチームに対する明確な意思が分かる姿勢を崩さず、その姿をみてほとんどの部員は彼を慕っていた。友人としても彼と一緒にいるのは面白かった。彼は奈良の私立中高出身で、兄の影響で年長からからサッカーを初めたそうだ。スポーツにおいても学問においても、たくさんの挫折をしたと言っていた。辛くて眠れないときもあったそうだが、フィールドで横たわったままの自分を、将来の自分はきっと蹴り上げもせず、蹴り上げる価値すらなく、素通りするだろうと想像して、それがなんと惨めかと考えては立ち上がってきたと言っていた。自分の弱さに正面から向き合い立ち上がれる人間は多くはない。環境を口実にして自分の弱さに向き合えない者が2割、向き合えたとしても処理しきれず崩れ落ちてしまう者が1割、弱さに気づくことを恐怖し向上しようとせず壁に当たらない者が3割、そもそも向上も何も考えておらず脳死で周囲と同じことをする者が3.5割といったところで、残りの0.5割が彼のような人間だ。彼に対し、彼のすごさを本心から伝えたことがあったが、周りに恵まれていたと謙虚に笑っていた。
六月上旬に総合商社の内定がでて就活が終わり、久しぶりにサークルの飲み会に顔を出した。後輩から内定先を聞かれ羨望の眼差しを受けることも、入ったばかりの1女からの頻繁に送られる視線も、なに一つ気持ちいいと思うことはなくなっていた。高校の頃よりも垢抜けた見た目、知性的なギャグセンス、女の扱い方、飲み会での立ち回り方、バイト先の人間との付き合い方、仕事のうまいサボり方、今の自分を形成したのは少なからず自分の選択した日々の結果であって、どれも社会性として必要なものだと思う。それなのになぜか湧き上がる、後悔という簡単で誰もが使える言葉で表すには足りないあまりにも絡まったこの感情は、さざんか亭をでたあとの三条大橋で向かい道路の行き交う車と建物の光を疎らに揺れ動き反射する水面を見ながら、どう処理したらいいかわからず宙ぶらりんなままであった。出身地の話で盛り上がり、博多弁を披露した面のいい女をかわいい~と騒めく1回生の会話を聞きながら、4年間何度も見たこの景色が今までとひどく違うものに見えた。
彼女と別れた。就活が終わり、大学最後の夏休み、単位もほぼ取り終わり遊ぶことしかすることがない夏休み前に、別れを告げられた。出町柳のパチンコKINGの隣にあるミスドは、京大と同志社カップルの別れ話をするために位置しているのかと思うくらい最適な場所にあった。彼女は頼んだアイスロイヤルミルクティーに手を付けず、肩を震わせ嗚咽をこらえて俯いていた。最後まで顔を見ることはなかったが、おそらくしっかりメイクをしていて相変わらず可愛く、泣いている顔も絵になっていただろうとぼんやり想像していた。カウンター内にいた女子大生店員たちは横目でこちらを見ながらひそひそ話を繰り広げ、他の客へのドリンクのお代わりを聞いて周っていた男性店員は、気を使って異様な空気を放つこのテーブルにはやってこなかった。
彼女が店を出てから今までの写真を見返した。サークルの旅行で行った江ノ島、同志社今出川キャンパスの色とりどりの紅葉、珍しく雪が積もり先斗町の公園に集まって作った雪だるま。いろんな思い出が、彼女の八重歯が愛らしいふんわりとした笑顔とセットとなり走馬灯のように蘇ってはくるが、普通失恋時に感じるとされる締め付けられる苦しさなどというものは一切なく、むしろあまりにも平然としている自分のこころを心配した。彼女が泣いている姿を前にして心は痛んだものの、これは自分が誰かを傷つけたということに対する反省という、人間に生来道徳的に備わった良心からくるものだと気づいた。2年間一緒に過ごしてきたため情はあるが、おそらくそれも通常人よりは薄く、もう触れることができないことに対するどうしようもない悲しさや虚しさは沸いては来なかった。やる気のないありがとうございましたを後ろに聞きながら外に出て、店内で冷やした体がじんわりと温まっていく心地よさを感じながら空を見上げると、本当にあまりにも青く深く澄んだ色をしていて、その美しさが鬱陶しかった。出町柳の交差点信号の上下に移動するメロディ音と蝉の合唱が混ざり合った音を聞きながら、そういえば夏はこちらの事情など知らず天真爛漫にやってきて、飽きたと言って一瞬で過ぎていく自分勝手なものだったと思い出した。
何事もバランスが大事だ。目の前でパチパチと燃える火を見ながら考えていた。8月も終わりに差し掛かった頃に、サークルの同期と東北へ男旅をし、秋田の山奥でキャンプをした。周りの評価と自分の評価が乖離しているように思う。自分は周りが言うほど顔もよくないし、面白いことを言えるわけでもないし、何か秀でた一芸があるわけでもない。ただあらゆる分野において、世間という世界で見たら平均よりも高い点数で結果を出すことができるだけであったし、またそれは京大という世界にきた今となっては、それなりのコミュニティに属した自分の点数は相対的に低下し、平均点に変わった。自分よりも顔もよく頭もよくユーモアもある人も見てきた。しかしそんなに完璧な人たちでも、どこか世間に追われているように見えた。3回生のサマー後に外銀外コンから内定を貰った後はエンカレのメンターと長期インターンをしながら、来る入社式の日まで英語能力を少しでも伸ばしビジネス本を読み余生を過ごす。外銀に内定したM2のサークルの先輩と飲みに行った際に、その整った顔を源とした自信に満ちたオーラと早い会話のテンポから、なんだか自分が優秀か否か評価されているような気がして、少しドキドキした記憶がある。それでも、先輩の無意識の奥底にプライドという名の足枷で強く深く踏みつけられた、自分の能力に対する不安感や、上層へ踏み入れることへの恐怖心を垣間見た気がした。京大という世界の中でも全体において高い点数をたたき出し、トップレベルを走るこの人たちが、その有り余る能力故に飼いならすことが困難となったプライドに苦しめられながら、まだ挑戦を続けている。それに比べ、繰り返しになるが自分は周りが言うほど能力があるとは思っていない。しかし、物事を行うときの抑揚のつけ方が上手く、どうでもいいことに対するその適度な手抜きやドジが人間味を出し、愛されるという分野において高い点数をたたき出す要素となっていたし、自分でそのことをわかっていた。息をするように行ってきたその愛され方も、日系大手の面接ではウケがよく、就活で苦しむ世間の大学生たちと比べたら、呆気なく内定が出たように思う。試合に負けたときの悔しさや苦しさは、大きくなるにつれてなんとなくでしか捉えられなくなっていき、サッカーを始めたばかりの頃に感じていたであろう、もっとうまくなりたいといったような純粋な向上心というものも、もうどこかに置いてきぼりになってしまい、知らないうちに自分の得意なフィールドでしか勝負しなくなっていたのかと、初めて空虚という気持ちを自覚したように感じられた。火を消して、22歳で過ごす夏の夜を全身で感じていた。ひたすら鳴く鈴虫の声と生温い夏の風に、空には満天の星空と欠けた月が雲の隙間から見え隠れしていた。空虚な気持ちを感じるにはあまりにもそれを打ち消すヒーリング要素が揃っており、混ざった感情を表す言葉はどこにもないまま、夏の終わりを迎えた。

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