その成功は失敗と停滞につながる

ある有名な偏差値の高い大学でオンライン授業が実施されています。

時世もあり、それ自体は良い取り組みで、必要に応じて広がっていけばと思うんです。

そんな中で、まぁ言ったら早大ですが、オンライン授業で不正があったようです。新聞の記事でしかわからないのですが、不正を行った学生が100人ほどいて、皆さん不合格になった。

恐らく単位が貰えないということなんだと思います。

これって、

成功だと思ってることが失敗を招いた結果

だと思いませんか。

しかも失敗の種類が悪い

ヒトに迷惑を掛ける失敗

こういうことが起きると、オンライン授業やオンラインでの仕事の広がり、それに対する人思いに、良くない影響をもたらすと思う。

大学の偏差値で言ってしまえば、今回は早大という非常に優秀な人達が集まっている場所のはず。

そういったところで、学びがキチンと提供できていない。ということは、インパクトとしては大きいなぁと思う。

これって、自分だけじゃなく、人に迷惑を掛けている失敗。ばれなきゃいいと思っていた自分だけが被るものではないことを理解してほしい。

気持ちはわかる

授業に限らず、オンラインだから監視されてないだろう。見たことにすればいいだろう。

少し息抜きしたいから、動画を視聴しながら他のことをしよう。人だからそういう気持ちが芽生えることはわからなくはない。

それならなんで大学に入ったのか。(*昔の自分にもいってやりたい)

結局、大学は入ることが目的の場所にもなっていることにもつながると思う。

と、子供ばかりが悪いわけではなく、大人の在宅勤務やリモートワークでもいえるようだ(*今の自分に自戒)


これって、

間違えた成功を失敗に繋げてる

いま、動画配信サービスや音声メディアなどLIVEのモノを除けば、速度調整やタイムフリーで、ピンキリのサービスに触れられることができる。

好きな時間に好きなペースで、好きなものに触れられる。わからなければ、指でさっとなでるか、トントンとタッチすれば10秒や15秒ごとに戻せたりする。早戻し?ができて、再生速度も選べる。

そういう経験を通じて、学んでいると思っていて、成功だと思っているのかもしれない。

そういう仕組みが便利で求められ、当たり前になっている。だからながらラジオとかながら視聴が浸透している。ながらで仕事しているよ。家事をしているよなんて話がでてくることはよくある。

それの存在が悪いって話ではないですよ。

ただ、ラジオやテレビをライブで見聞きしていると大切なことを逃すことがありませんか。あれもしかして大切なこといってた?

と、ふと思ったりする。でも、LIVEだから戻せない。再生中や放送中はすぐに戻る機能がない。だからもやもやしつつもその場をスルーし忘れてしまう。

成功だと思っていたことが、取り込めてない失敗につながっていることに気づいていない。若しくは、気づいていてもスルーしているのかも

大事な話を聞き逃すことに慣れてしまっているのかもしれない

今回のことは

小さい記事ではありましたが、早大生なのに(偏見)へたくそだなぁと思いました。偏見よくないですね。

もっとうまくやれよと思いつつも、もしかして、いまの人たち(学生に限らず子供から大人まで)は、オンラインで配信されているものに執着しないのかもと考えがてみました。

その中でもタイムフリーで配信されている情報に対して、執着がすくないのかなぁと思いました。

好きなことや興味があることに対しては何度でもみるけど、そうでないと優先順位が低かったり、敬意を持てなかったりするのではないだろうか。(よい表現が思いつかず)

もっというと、長くて10分程度。そのくらいしか、学びの配信への集中力がもたなくなっているのかも。止めたり早送りしたり、再生速度あげたり。平気でしてしまっているように思う。

みなさんでもそんな経験ありませんか。

もし、このような状況であれば、見直すことは変わってくる

オンラインの授業や仕事そのものが悪いとは思わない。むしろ必要な人に必要なものを届けられる大切な仕組み。

当然授業をうけたように偽ったことは良くないこと。

そこを否定せず、改善していくのであれば、それを使う側(提供する側と受け取る側)が現状を理解した仕組みでないと、受け渡しミスがおき、今回のようなことがおきる

要するに

オンライン、在宅、リモートってやっぱ(見えない部分が)よくわからないよね

という風なネガティブモードに入ってしまう心配がある。

恐らく、うまく使っている会社にこういった問題はない(と思う)。それにそった給与体系だったり、業務内容、評価システムをしているのだろう。

だから早大でこうなるのかというインパクトは大きい。

なにより、大学側にも対処は求められると思うが、こういったことを起こした生徒たちには、次に繋ぐ芽をつぶしてしまうリスクがあったことを重々理解してほしい。

今までの教育とこれからの教育がうまく相互作用するためには、今サービスを受ける人たちが、正しく使い議論していくことが大切なんだと思う。



本当に烏滸がましいですが、父親として未来の教育がより良いものであることを願って。

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