鴨と葱に誘われて書店に入ると、初めて活字に包みこまれる感覚を知った。
ゴールデンウィークに、ベッドでゴロゴロしながらインスタグラムを見ていると、京都に小さな書店ができたという投稿を目にした。
名前は鴨葱書店。鴨と葱。なんだかメルヘンで可愛らしいと思ったのは私だけだろうか。
少し前から、5月の終わりごろに京都へ能を観に行くと決めていた。
せっかくの機会だと思い、能を観る前後で寄り道しようと決めた。
その数日後、詩集が紹介されていた。
めったに詩集なんて読まないけれど、この時はなぜか惹かれてしまった。
偶然SNSで見つけた書店が、普段は読まないジャンルの本を教えてくれた。
「さ、運命に従いなはれ」と鴨に導かれているような気がした。
そして、京都旅行の日。
京都駅から5分ほど歩いて、路地を進んでいく。
目を引く古民家こそ、その鴨葱書店だった。
旅行先で初めて行く場所に一人で入るのは、少し勇気がいる。
「よし、行くぞっ」と心の内で唱えて、書店へ足を踏み入れた。
しかし、そんなに怖気づく必要はなかった。
鴨と葱が教えてくれた場所は、本たちのあったかくてやさしい光に包まれていた。
書店でしか味わえない、本を探す楽しさ。
今日はどんな本に会えるだろうと、隅までくまなく探す冒険の旅。
「さ、運命に従いなはれ」
こんどは、本棚全体が私に語りかけてきた気がした。
いつも手に取る人文学や芸術の本はあえて吟味しないようにした。
今まで探し求めていた本があったり、気になっていた本が置いてあったりしたけど、ここでしかできない“運命の出会い”に専念すると決めた。
本棚の向かいの壁には、詩の一節や短歌が書かれた木の札が吊るされていたり、書店の奥には「幸せについて考える間」と名付けられた秘密基地があったりした。秘密基地は、谷川俊太郎の言葉で埋め尽くされている。
詩や短歌を目にするのなんて、高校生のときぶりだ。
久しぶりに浴びる詩歌は、新鮮だった。
鴨葱書店にいると、生まれて初めて“活字に包まれる”感覚になった。
活字に包まれるのはこれほどに心地良いものなのか、と感動した。
芸人の又吉直樹が書店を巡る動画で「没頭すると、言葉と自分の距離が近づいていって、気づいたら本の中にいる」という言葉を思いだした。
今ならわかる、その気持ち。
自分が活字に包まれていると気付いたとき、この書店のあたたかみに納得がいった。ここにある言葉たちは、みんなやさしいのだ。
運命に導かれて本を数冊買った。外に出ると、私よりも先に本を買った青年が店の外観を一眼カメラで撮っていた。
奇遇なことに、私も最近一眼カメラを買った。この京都旅行はカメラを買ってから初めての旅行で、私も帰りに外観を撮ろうと思っていた。仲間を見つけた気がして声をかけたくなった。
しばらく声をかけようか迷いつつ写真を撮っていたら、すでに彼は写真を撮り終えていなくなっていた。
でも、またどこかで会えるんじゃないかと思う。
私も彼も、葱を咥えた鴨に導かれた読書家かつ写真家なのだから。