国民がほっといてくれる、忘れてくれるという期待を政権党に持たせない
今の日本国憲法の仕組みの中であれば、仮に私たちが選んだ政党が、国民のだれからも支持されないような無謀な政策や時代に逆行するようなとんでもない政策、人権をあからさまに無視して弾圧を行うような政策、どこかの国にいきなり喧嘩を売るような国際秩序を無視するような政策などを打ち出せば、私たちは正当な民主的プロセスをもってその政党を政権から引きずり下ろせるはずであると、私たちは、私たち自身にも国のシステムにも自信を持って良いと思います。
少なくとも私たちは、私たちが受けてきた教育のレベルや私たちの民主主義のレベルも、そして現行憲法を中心とするシステムも、そのぐらいは信頼に足るものだと信じても良いのではないでしょうか?
せっかく私たちはそのような民主主義の世界にいるのですから、そのシステムを活かして、信じて、勇気をもってこれはだめだと思った政権党を政権から退場させる意思を強く示しても良いのだと思います。
そのような意思を私たちが示し、行動に示すことは、次に生まれる政権党に対しても大きなプレッシャーになるはずです。
私たちは政治に対して、政権与党に対して、もっとモノ申しても良いし、政権が国民の方をまともに向かずに政治をしていると感じたら、別の政権を試してみても良いのではないでしょうか?
「失われた30年」と言いますが、私たちが何かを恐れて政治を停滞させてしまったのかもしれません。
どんな政権でも、国民がほっといてくれる、忘れてくれるということが分かれば、政治に手を抜き、国民のことよりも自分たちのことを考えてしまう傾向が出てくるのかもしれません。これは保守と呼ばれる政党だろうが革新と呼ばれる政党だろうが、当てはまることなのかもしれません。
私たちはこの民主主義のシステムの中で、もっと大胆に大きく政治を変える勇気を持ってもいいのではないかと思います。