なぜ「モルダウ」に郷愁を感じてしまうのだろう
私は楽器ができるわけでも、クラシック音楽に特別はまっているわけでもないのですが、子供の頃から、親に買ってもらったソノシートの「世界音楽全集 (筑摩書房)」や「こどものクラシック (学習研究社)」などをたまに聞いていたことから、クラッシック音楽に苦手意識もあまりなく、たまに自分でもレコードを買うことがありました。
といっても、たいていは誰もが知っている有名な作曲家のレコードを買うことが多く、ベートーベンやチャイコフスキー、ドヴォルザーク、ブラームスなどの名曲で、私なりにメロディーが覚えやすく心に残る曲を何度も繰り返して聞いていた感じです。
直径30cmほどのLP版のレコードは片面約30分の曲が収録できるようで、両面で約1時間の曲が収録できます。曲の長さにもよりますが、1時間かからない交響曲などの場合、余った時間にやや短い曲がカップリングで収録されていることが多かったようです。
しかも同じ作曲家の曲の場合もあれば、違う作曲家の作品が同じLPに収録されていることもありました。
例えば、ドヴォルザークの「新世界より」にはスメタナの「モルダウ」という曲がカップリングされているレコードをよく見かけました。ほぼ同じ時代を生きた、チェコの「国民楽派」の名曲と言われる2曲ですから、このカップリングにもうなずけます。
私がクラシックのレコードを選ぶときは、タイトルが大きく出ているメインの大作の曲目的で買うことが多いのですが、じつはレコードを何度も聞くうちに、このカップリングされている短い曲も好きになっていることが多いです。
次の3曲も、何かしら大作にカップリングされていたおかげで何度も聴き、好きになった曲たちです。
スメタナ「モルダウ」
チャイコフスキー「スラブ行進曲」
ドヴォルザーク「スラブ舞曲」
私は、クラシック音楽の中でも曲ごとにいくつか特に好きなメロディーがあるのですが、そのメロディーに至るまでの曲全体の流れが好きです。
その好きなメロディーが流れ出てくるまでの過程が、私の中では一つのストーリーのように、お膳立てのように感じられるのです。
もちろん、作曲家の意図もあって、その解説を読むのも好きです。自分の思い描いたとおりだったり、まったく違っていたり。それでも私の好きなこのメロディーをこの世に生み出してくれたことに感謝したい気持ちになります。
それで、スメタナの「モルダウ」ですが、私、実はこの曲の最後のほう、11:05あたりからの流れが大好きで、12:30あたりから最後のメロディーを聞くと、なぜか郷愁を強く感じてしまい涙が出そうになります。川が生まれ、いろいろな場所を流れ下って、最後に雄大に流れ去っていくような、そんな物語を感じます。
郷愁を感じるメロディーのポイントの共通性みたいなものがあるのでしょうか?日本で生まれ育った私が、チェコの作曲家のメロディーに郷愁を感じるなんて、本当に不思議です。