あのトマホークを500発も購入するのですか?
1991年8月2日、イラクがクウェートに侵攻しました。このニュースは私が働いている日本の石油開発会社にとっても非常に衝撃的なニュースとなりました。湾岸戦争のきっかけです。
1980年ころから始まったイラン・イラク戦争が1988年に停戦を迎えて、なんとなくペルシア湾 (=イラン側の呼称。アラブ諸国は1960年代以降「アラビア湾」の呼称を主張) が落ち着きを取り戻しつつあるのかと思った矢先の出来事でした。
1989年にイラン革命の指導者ホメイニーが死去した後、1990年にはイラン・イラクの国交が回復しています。
イラン・イラク戦争で多額の負債を抱えていたイラクは当時相当苦しい経済状況だったのだと思われます。一方でクウェートをはじめとする産油国の増産による油価の下落も、産油国でもあるイラクの経済状況を悪化させていたようです。
そのころクウェートはイラクに対してイラン・イラク戦争時の借款の返済を要請しています。またイラクは、クウェートなどのいくつかの産油国がOPECの国別生産枠を越えて原油を生産していてそれが油価下落に拍車をかけていると疑っていたようです。イラクは石油収入に頼っていましたから、油価下落の影響は大きく、相当のフラストレーションがたまっていたのでしょう。
イラン・イラク戦争でイラク軍の軍事力は戦争前の4倍近くになり、当時の他の湾岸諸国の軍事力を圧倒的に凌駕していたそうです。これもクウェート侵攻の背景にあったのではないかと思います。強い軍事力と国内経済の低迷。なんだか最近もいろいろなところでそんなストーリーを耳にしますね。
イラクは1990年8月2日にクウェートへ侵攻してから半日もかからずクウェート全土を制圧し、傀儡政権を擁立し、8月8日にはイラクへの併合を宣言しました。
その後、イラクはクウェートから脱出できず取り残されていた日本人を含む外国人をイラクに強制連行し、「人間の盾」として監禁しました。先日亡くなったアントニオ猪木さんはイラクを訪問し日本人解放に尽力されていました。
海外で働くということは、このようなリスクもあるのだと改めて認識させられました。
イラクのクウェート侵攻後、アメリカ軍の湾岸地域への展開は早く、サウジの了承もいち早く取り付け、8月7日は、アメリカ軍部隊に対して湾岸地域への展開命令が出されたとのことです。10月までにはサウジ、イギリス、フランスなどが加わった多国籍軍による湾岸諸国の防衛体制が確立されています。
国連は度重なるクウェートからの撤退勧告をイラクに対して行っていますが、イラクは無視を続けていました。11月29日、国連安保理は翌1991年1月15日を撤退期限としたいわゆる「対イラク武力行使容認決議」を採択しました。クウェートからの無条件撤退を求めるとともに撤退期限を設定する決議で、イラクが拒否した場合には国連加盟国に対して武力行使を容認するものでもあります。決議は賛成12:反対2(キューバ、イエメン):棄権1(中国)で採択されました。
ちなみに投票を行ったのは当時の国連常任理事国である中国、フランス、イギリス、アメリカ合衆国、ソビエト連邦と、非常任理事国であるカナダ、コートジボワール、コロンビア、キューバ、エチオピア、フィンランド、マレーシア、ルーマニア、イエメン、ザイールの15か国です。
結局撤退期限をすぎてもイラクは態度を軟化させず、1991年1月17日未明より、多国籍軍による攻勢作戦が開始されました。
イラク側は18日早朝よりスカッド短距離弾道ミサイルの射撃を開始し、イスラエルやサウジアラビアを標的とした攻撃が行われました。近隣諸国では日本の石油会社、プラント会社、商社などの社員や家族をはじめ、多くの日本人が滞在していたため、危機管理、避難対策など緊張状態となりました。
戦争の様子は日本でも映像・動画としてニュース配信され、衝撃的でした。
航空機による空爆、トマホーク対地ミサイルと空中発射巡航ミサイルによる攻撃、地上戦と1か月以上の攻撃、戦闘が行われていました。
この戦争で驚くのは、戦争の初期段階から巡航ミサイルや航空戦力による空爆が行われ、誤爆などを含め、一般市民の犠牲者が多く出たということです。イラク政府が一般市民を疎開や避難させなかったことも原因だと思いますが、イラク政府が人間を盾のように扱っていることを承知のうえで、イラクの軍事拠点とはいえ、爆撃を行い民間人に多数の犠牲者を出したことは、同じ一般市民として胸が痛いです。
イラクは明らかに国際的ルールを無視してクウェートに侵攻しました。侵攻や戦争が始まってから、国際社会が採りうるオプションが多く残されていたのかは疑問ですが、侵攻前であれば、国際社会がイラクに対して、あるいは地域の安定に対して取りうるオプションはまだまだあったのではないかと思われます。イラクを追い込み、侵攻へ向かわせた要因をきちんと分析し、このようなことを繰り返さないことが大切だと思います。
侵攻が始まってからの、武器や武力の大切さを説く前に、戦争のきっかけを作らない、作らせない、政治的オプションは本当になかったのか、研究し、学び、今後に生かしてほしいと思います。
日本政府は湾岸戦争でも使われた巡行ミサイル「トマホーク」を500発購入することを検討しているとのニュースがありました。「反撃能力」という名目で緊張を煽ることにもなりかねず、非常に危惧しています。
[読売新聞オンライン 2022/11/30 05:00]
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