まだ採掘されている亜炭 – 埼玉飯能の亜炭田と意外な利用法
私は高校時代地学部に所属していました。
当時 (1980年代) は埼玉県飯能市、入間市、東京都青梅市にまたがる加治丘陵周辺を主なフィールドとして地質調査を行っていました。そこでは仏子層と呼ばれる150~250万年前 (前期更新世の初期) に堆積したと考えられる泥層を主体とし、礫層、砂層そして亜炭層を挟む地層が見られます。
仏子層からは多くの化石が産出します。私たちも植物化石、貝化石、生痕化石などを見ています。これら化石の産出や堆積環境の検討から,仏子層は陸成層と浅海成層からなると考えられています。近くの入間川河床ではアケボノゾウと呼ばれる象の化石も見つかっています (堀口ほか、1978)。
当時、西武池袋線元加治駅から南に向かって入間川を渡って、県道を飯能側に少し歩くと、日豊鉱業株式会社という会社が武蔵野炭鉱として亜炭を採掘している現場がありました。私は中を見学させていただいたことはありませんが、近くを通るときに、この時代、亜炭をどのように利用しているのだろう?需要はあるのだろうか?と疑問に思っていました。しかし、疑問は疑問のまま最近まで来てしまいました。
亜炭は石炭の一種ですが、石炭化度が低く、水分や不純物を多く含むことがあり、エネルギー源としての効率は高品位の瀝青炭などと比べると低くなります。国内には北海道や九州などに高品質の瀝青炭、さらにもっと高品質の無煙炭の産地もあるのに、わざわざ低品質の亜炭を使うような需要があるのかどうか当時は想像もつきませんでした。しかも石油に押され、高品質の石炭ですら需要が激減している状態でした。私は「近所の工場とかでエネルギー源としての需要でもあるのかな?」程度に思っていました。
最近たまたま加治丘陵周辺の地図を見ていたところ、日豊鉱業株式会社の名前が出ていたので、ホームページを見せていただきました。そして現在も採掘を続けていることを知りました。
日豊鉱業株式会社は、武蔵野炭鉱として1942年に開山し、燃料用及び軍需用資源として亜炭の販売を開始したそうです。1948年には亜炭鉱物及び炭質頁岩に含まれる腐植酸を活用して、化学肥料の基材としての分野に進出したそうです。1956年に日豊鉱業株式会社へ社名が変更され、1986年からは亜炭に含まれるフミン酸及び微量要素に着目し、天然素材としての特性を生かして、畜産用飼料分野に進出したそうです。
現在製品として、亜炭(リグナイト)に含まれる「フミン酸」を活用した有機化学肥料や土壌改良剤の原料、畜産用飼料、環境用製品(水浄化作用)を加工製造していて、主に農業・畜産業で利用されているとのことです。
日本において亜炭は戦前には家庭用燃料として、また、戦時中から戦後の燃料不足の時期には燃料用として需要があったようですが、経済の復興と貿易の拡大に伴い、燃料は良質なエネルギーへ転換され、エネルギー効率の悪い亜炭はしだいに敬遠され、昭和40年代までにはほとんどの鉱山が閉鎖されたようです。
そのような中、私の身近なところで武蔵野の亜炭がエネルギーとは別の形で利用されていたとは知りませんでした。1989年からは宮城県でも亜炭開発をしているそうです。日豊鉱業株式会社の製品は日本の亜炭資源の開発・利用の数少ない例ではないかと思います。
そういえば、仙台周辺の亜炭は木質亜炭と炭質亜炭の2種類があり、木質亜炭は「埋木(うもれぎ)」と呼ばれ、仙台名産の彫刻・工芸品である埋木細工に利用されています。これも亜炭利用の数少ない例かもしれませんね。
話は変わりますが、日豊鉱業株式会社のホームページを見ていたら、「ロケーションサービス」という記載がありました。敷地内を生かした映画やドラマ等の撮影ロケーションの提供サービスを行っているようです。「シーンとしては、昭和の炭鉱、また屋外でのアクションシーン、山間部での時代劇等の撮影に適しております。」と書かれています。
映画「フラガール」(2006) に出てくる常磐炭鉱の採掘現場として日豊鉱業株式会社の武蔵野炭鉱が使われたそうです。好きな映画なので、身近な場所が撮影に使われていて何となくうれしいです。
[参照]
堀口万吉・三島弘幸・吉田健一, 1978, 埼玉県狭山市笹井より発見されたアケボノゾウについて.地球科学, 32, 38–40.
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