母校の校歌
わたしは埼玉県の普通の公立小学校、中学校を卒業生しました。
私の卒業した中学校の校歌を作曲したのは古関裕而先生でした。中学に入学してすぐ、音楽の先生から校歌を作曲された古関裕而先生は大変有名な先生なのだとうかがいました。しかし、そのような有名な先生がなぜ母校の校歌を作曲をしてくださったのかまでは聞くことはありませんでした。
しかし、2020年NHK朝の連続テレビ小説「エール」のモデルとして古関裕而先生が話題になり、あらためてそんなすごい先生がいったいどんな経緯で私たちの中学校の校歌を作曲してくださったのか気になってしまいました。
最近ふと、母校のホームページをのぞいてみたところ、校歌誕生のエピソードが掲載されていることを知りました。
そこには、校歌作成に関する生徒の代議員会で作曲を古関裕而先生にお願いすることを決定。そこで生徒の一人が代表として古関裕而先生に手紙を出してお願いしたと書かれていました。驚きました。
生徒たちの行動力、それを尊重して動いてくださった校長先生をはじめとする先生方、そしてなによりも、見ず知らずの中学生のお願いを聞いて「作りましょう」と快く作曲を引き受けてくださった古関裕而先生。
さらに作詞は、これもPTA、先生方、同窓会関係者で結成された校歌作成委員会と生徒側の代表の代議員会との会合により、古関裕而先生の同郷の作詞家、野村俊夫先生に決定したとありました。
NHKのドラマの中では、野村俊夫先生・古関裕而先生に伊藤久男先生を加えた3人をモデルとして「福島三羽ガラス」と呼ばれていたようですが、実際にはこの3人は「コロムビア三羽ガラス」と呼ばれていたそうですね。
このようなエピソードをしって、母校の校歌がますます好きになりました。
ちなみに私が卒業した小学校の校歌は、風早美樹先生作詞、藤山一郎先生作曲でした。各地の学校にこのお二人がコンビを組んで作詞作曲された校歌が残されているそうです。
大変有名な先生方がどのような経緯で、どのような思いで各地の校歌を作られたのか、いろいろなエピソードやドラマがありそうですね。
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