平和を作るのは国を超えた市民どうしの尊重と相互理解
今年に入ってからしばらく、ここ南国は隣国の武装組織から弾道ミサイルや無人機攻撃を受けていました。どうなることかと最初は驚いたし大変緊張しました。
発表によると、攻撃を受けるたびに迎撃ミサイルで撃ち落とし、報復のため武装組織の発射施設を空爆して破壊したとのことです。
恐ろしい話ですが、頻繁にそのような話を聞いて、またかとしか思わなくなっている自分にも嫌になります。
どこの国でも多くの市民は平和を望んでいるのに、軍拡やら、同盟やら、核兵器やら、政府の方針や報道に翻弄されて、国を超えての市民同士の連帯が阻害されているようです。
軍拡よりも軍事同盟よりも、本当は平和を望む市民どうしの連帯と尊重と相互理解が、各国の政治を正し、平和を作る第一歩なのだと感じます。
そして各国の市民が、世界の、平和を望む自分たちと同じような普通の市民のために、自分の国に戦争をさせないようにすることが、本当の市民の戦いなのだと思います。
私たちの多くは、ウクライナ情勢でウクライナに侵攻している国はひどいと思っています。どうしてこのような政府をこの国の人たちは止められなかったのでしょうか?
日本の最大の同盟国も、前の大統領は民主主義を否定しかねない不安定さを見せました。以前には存在しない大量破壊兵器をあると言ってイラクを攻撃したこともありました。さらに前には日本への直接の脅威とは思えない北ベトナムを、沖縄の基地から空爆したこともあります。北ベトナムに反撃能力があれば沖縄は「敵基地攻撃」の対象になりかねない事態だったと思います。
同盟国の政府がいつでも日本や世界のために理性的に行動すると言い切れるのでしょうか? 同じように、私たち自身が私たちの政府をいつでも必ず律しきれると言い切れるのでしょうか?
どの国の市民も、「戦争加害国やその同盟国の国民」とならないためには、自国内での非常に困難で地道で平和的な「戦い」が必要なのだと思います。
核抑止を簡単には口にできない
広島や長崎の被爆者を知り合いの知り合い程度の身近さで感じている人が、日本人には非常に多くいらっしゃると思います。
例えば厚生労働省によると2021年3月末現在で広島、長崎に投下された原子爆弾によって被害を受けた被爆者 (被爆者健康手帳所持者) 数は127,755人だそうです。
非常にざっくりとした計算で恐縮ですが、この方たちにそれぞれ50人の知り合いがいらっしゃるとすると、知り合いの方の数は
127,755 x 50 = 6,387,750人
さらにこの方たちそれぞれに知り合いが50人いるとすると、知り合いの知り合いは、
6,387,750 x 50 = 319,387,500 人 (約3億2千万人)
日本の人口を軽く超えてしまいます。それほど日本人の被爆者は私たちの身近なところにいらっしゃるということです。
私の親戚にも被爆した人がいます。この人たちの話を聞くと、こんな恐ろしい爆弾を、我々と同じように平和を愛して暮らす人々の上に落とすなどということは、私は考えたくもありません。
核抑止は「本当にいざとなったら核を使う」という意思がないと成り立ちません。核抑止の立場に立つということはそういうことなのです。わたしにとっては、核抑止が必要だからと「どこかの国に対して絶対に核を使わないとは宣言しません」と被爆者の方々に向かって言うことはあまりに辛すぎます。
この夏は私自身ももっと平和について考えたいと思います。
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