奥多摩にレジャーランドができる計画があった、ってホント!?
先週の土曜日に奥多摩の山中に残る廃線「小河内線」をご紹介しました。▼
今回はその続編です。上記の記事を読んでからのほうがわかりやすいと思います。
西武所有となった小河内線
奥多摩湖建設のために使用され、工事終了とともに廃線となった小河内線。
いまも廃線として山中に残っていますが、じつは一時期、レジャーランドの足として使われる予定で、とある大手私鉄の所有となったことがありました。
その大手私鉄とは、東京都下や埼玉県西部に広く沿線圏をもつ西武鉄道です。
西武は、奥多摩湖周辺の山林を切り開き、ホテルや温泉宿などを揃えたレジャー施設の建設を計画していました。確かにこの一帯は、都心近郊であるにもかかわらず自然豊かで保養地としては完璧な土地です。
観光地を整備して行楽客を呼びたいと考えていた鉄道会社からすれば垂涎物でしょう。当時の鉄道会社は、小田急電鉄の箱根、京王電鉄の高尾など、沿線に観光地をもっていました。西武も秩父や多摩湖(多摩湖についての記事は→コチラ)を抱えていましたが、奥多摩もそのような観光地として大変魅力的だったのです。
また西武はレジャー施設だけでなく、奥多摩湖畔の後背にそびえる倉戸山に向かうケーブルカーも計画。さらにその西側にある雲取山、三峰山を経由して秩父へ抜けるロープウェイも整備する方針でした。
こうした計画から、ダムが竣工して不要となった小河内線を東京都が公開入札に出したとき、西武はこれを1億3000万円で落札しました。西武はこれを観光地への足として整備し、さらに拝島から奥多摩へ列車を乗り入れさせることによって、西武新宿~奥多摩湖間をノンストップで結ぼうと考えたのです。
車社会の波に飲まれて頓挫
奥多摩観光地化を目指した西武鉄道でしたが、この計画は実現されませんでした。
その理由のひとつに、奥多摩湖があります。
じつはこの奥多摩湖、たびたび渇水していました。山林のなかに水を湛えているのが景観として美しいのですが、水がなくなってしまえば台無しです。そのため、西武の社内でも、奥多摩湖が行楽地としてふさわしいのか、といった疑問が出され、開発計画は暗礁に乗り上げました。
また、小河内線を用いて西武新宿駅から直通できる、という計画も社会の変化によって頓挫しました。
昭和30年代当時、日本は高度経済成長期のど真ん中でした。世帯収入がどんどん伸び、同時に自家用車が急速に普及していった時期です。
観光地へ行くにも、その前の時期なら家族みんなで特急列車に乗っていましたが、車を持つようになると当然、車移動になってしまいます。そうなると、西武新宿~奥多摩湖間を結ぶ特急を走らせてもあまり利益は期待できなくなりました。
こうした事情から開発を進ませることができず、結局は奥多摩湖畔にレジャー施設がつくられることはありませんでした。小河内線についても、何も使われないまま1978(昭和53)年に地元の奥多摩工業に譲渡されてしまいます。
結局、そのまま小河内線は残っています。
もしこの線路にレッドアロー号のような列車が走り、終点に一大行楽地が広がっていたとしたら、奥多摩湖畔はどのような姿になっていたのでしょうか。
今のまま、自然が広がっている姿のほうが親しみやすい気もします。ただこれも人工の湖――ダムですから、そもそも自然ではないですが…。
参考資料:
『鉄道未成線を歩く<私鉄線> 夢破れて消えた鉄道計画線 実地踏査』森口盛之(JTB)
『新・鉄道廃線跡を歩く2 南東北・関東編』今尾恵介編著(JTB)
『地図と鉄道省文書で読む 私鉄の歩み 京王・西武・東武2』今尾恵介(白水社)
『東京の鉄道遺産 百四十年を歩く 下 発展期篇』山田俊明(けやき出版)
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