御茶ノ水にある聖橋 その名前の由来とは?【3/17は湯島聖堂完成の日】
本日3月17日は、湯島聖堂完成の日です。
湯島聖堂とは、いまの東京都文京区湯島、JR御茶ノ水駅近くにある歴史的建造物のことです。
「日本の学校教育発祥の地」とも呼ばれ、近年はパワースポットとしても知られています。
湯島聖堂のはじまり
江戸時代の1690(元禄3)年の今日、ここに湯島聖堂がつくられました。
もともと上野忍岡にあった儒学者・林羅山の屋敷地の一画に「孔子廟」がありました。中国の春秋時代の思想家の一人であり、儒教の創始者で学問の神様である孔子を祀る霊廟だったほか、儒学を学ぶための私塾として使われていました。
その後1690年、熱心な儒学者だった江戸幕府5代将軍・徳川綱吉がこの湯島の地に孔子廟を移築。綱吉自ら「大成殿」と名付けました。その後1797(寛政9)年になると、第11代将軍の徳川家斉によって、幕府直轄の学問所である「昌平坂学問所」となり、当時の知識の最先端の場所になりました。
いまでは、廟に付随して建てられた周りの建築物などを含めた総称として「聖堂」と呼ばれています。
神田川にかかる聖橋
この湯島聖堂に行くためには、JR御茶ノ水駅で下車したあと、神田川を渡る必要があります。
このときに渡る「聖橋(ひじりばし)」は大変特徴的な見た目をしています。
約92メートル、幅が22メートルもあり、コンクリートの巨大なアーチを描いています。そしてこの巨大なアーチに、外濠通りや中央線・総武線の線路をまたぐ小アーチ橋が付属していて、直線的な線路や水面に映る曲線が複雑に同居した独特の都市的景観を生んでいます。
これは、関東大震災の復興橋梁として1927(昭和2)年7月につくられた橋で、東京電信電話郵便局の設計などで知られる山田守がデザインしています。(竣工当時の様子▼)
聖堂とニコライ堂が由来
この橋の名前、「聖橋」を見て、気づいた人も多いはず。
前述の湯島聖堂と同じ、「聖」の字が入っているのです。湯島聖堂と関係のある橋なのでしょうか。
じつはその通り。聖橋の名前の由来は、まさにこの湯島聖堂にあります。
ただ、それだけではありません。
「聖」がつけられたのは、湯島聖堂ともうひとつある“聖堂”をつなぐ橋だったからです。
それは、神田川の反対側、千代田区神田駿河台にあるニコライ堂のことです。
ニコライ堂とは、正式名称が「東京復活大聖堂」といい、高さ35メートルのドーム屋根などビザンチン様式の建築が特徴的なキリスト教の教会です。国指定の重要文化財に指定されています。ニコライという通称は、日本に正教会の教えをもたらしたロシア人修道司祭(のち大主教)聖ニコライに由来しています。(1891年頃のようす▼)
キリスト教においても、教会でミサをする場所のことを聖堂と言い表します。
つまり御茶ノ水駅周辺には、聖堂が2つもあることになります。それらをつなぐ橋だったからこそ、この橋の名前も「聖橋」となったのですね。
御茶ノ水駅周辺には、聖橋のような景観スポットのほか、湯島聖堂、湯島天神などのパワースポット、さらにはニコライ堂などの歴史的建造物のほか、駅周辺には楽器店が並び、神保町まで足を延ばせば古書店街もあります。
東京に来たら一度は観光してみたいエリアですね。
参考資料:
ニコライ堂HP
千代田区HP
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