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ゴムの生みの親が迎えた悲惨な晩年とは…【5/6はゴムの日】


本日、5月6日はゴムの日とされています。
ゴム製品のPRを目的に、文字通り5(ゴ)、6(ム)の語呂合わせから制定されました。

Twitterのトレンドにも「ゴムの日」がありましたが、みんなコンドームの話題ばかりですね……。オモなんでは、もう少し知的なゴム雑学をお届けします。

ゴムとはどんな素材?

私たちの身の回りには、多くのゴム製品があります。日常で使う輪ゴムから消しゴム、水道やガスなどのパッキン、タイヤ、靴のソール、下着の上端など、挙げればキリがありません。
そもそもこのゴムという素材はどのようなものなのでしょうか。

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ゴムとは、伸びたり縮んでもとに戻ったりといった弾性に富んだ物質のことです。
ゴムノキ(ゴムの木)から採取した樹液(ラテックス)から作られる天然ゴムのほかに、石油などから科学的に合成される合成ゴム、再生ゴムもあります。

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辞書的には、天然・合成にかかわらず、弾性があればゴムということらしいです。

ゴムの生みの親、グッドイヤー

私たちが日々触れているゴム製品には、じつは生みの親がいます。
それが、19世紀に生きたアメリカの発明家、チャールズ・グッドイヤーです。アメリカにあるタイヤメーカーのグッドイヤー社の社名の由来となった人物ですね。(但し本人とは無関係)

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19世紀、ゴムは暮らしを一変する便利なものとして注目されていました。ですが、当時のゴムは粗悪でかなり問題がありました。常温では普通に弾性を保っているのに、冬になると固まって脆くなったり、逆に夏には変質して接着剤のようにドロドロになって悪臭を放ったりするような品質だったのです。

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当時、借金を抱えて刑務所に入れられていたグッドイヤーはこのゴムに着目。妻に生ゴムや綿棒を持ってきてもらい、独房のなかでゴムを変質させる実験に没頭します。その後、出所してもゴムの実験を繰り返し、やがて1839年に硫黄を混ぜて安定させる「加硫法」を考案。実用に耐えうるゴム製品を生み出したのです。

常軌を逸した貧苦にあえぐ

安定したゴムをつくることができるようになったグッドイヤーですが、栄光を手にしたわけではありませんでした。普通なら、発明家は注目されて莫大な富を築くはずです。しかしグッドイヤーの場合、富どころか逆に莫大な借金を抱えてしまうのです。

実用化に耐えうるゴム製品が可能になりましたが、この世紀の発見をグッドイヤーが売り込んでも、誰も彼の話に耳を傾けませんでした。さまざまなゴム製品を生み出したいところでしたが、資金提供してくれる人はいませんでした

せっかく偉大な発明をしたのに、彼は貧困に苦しみます。子どもの教科書まで売り払い、毎日の食事にも困窮しました。グッドイヤー社の公式HPによると、食器さえもなくなったとき、彼はゴム製の皿をつくって食べたという逸話もあります。

こうした貧困のなか、グッドイヤーは5万ドルの不払いで投獄されてしまい、その間に息子が死んでしまいました。葬儀費用すら支払うことができず、彼はワゴンを借り棺を墓地に運んだそうです。

特許も先取りされる

こうした貧苦を脱するには、ゴム製品をたくさん作って売るか、特許を売るかしかありません。前者は資金提供が必要ですが、後者は個人でも申請すれば通ります。グッドイヤーはアメリカで、加硫ゴムの特許を申請していました。

しかし、ここでそれを邪魔する存在が現れます。イギリスの科学者であるトーマス・ハンコックです。
グッドイヤーのゴムのサンプルを手に入れたハンコックは、この製品は金になると目論み、グッドイヤーの特許申請がイギリスへ渡る数週間前に仮特許を得てしまったのです。グッドイヤーはイギリスでハンコック相手に訴訟を起こしましたが、結局負けてしまいました。

そしてグッドイヤーの晩年、彼の借金はなんと20万ドルにまで膨らんでいました。彼は偉大な発明をしたのにもかかわらず、富を築けなかったばかりか、膨大な負債を背負って失意のうちに亡くなったのです。

ちなみに
グッドイヤーの死後、ようやく成果が実り始めます。加硫法の特許が収入になり始め、彼の子どもたちは暮らしに困らないようになりました。自身は借金で苦しみましたが、家族を守ることはできたのです。

失意の晩年を過ごした偉大な発明家は、死後に立派な大黒柱になれたわけですね。諦めないことの大切さを教えてくれるような人生ですね。


参考資料:
『雑学事典 「雑学大全」縮刷愛蔵版』東京雑学研究会編(東京書籍)
グッドイヤーHP

Ⓒオモシロなんでも雑学編集部

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