アクシデントに見舞われた旅でさえ、愛おしく思える理由
おいしいものを食べること、誰かに食べてもらうことに大きな喜びを感じているということを、これまで知らずに生きてきた。
これほど食べることへの執着があるのに、なぜ今までそれに気づくことが出来なかったのか、むしろ不思議だ。
あの母と行ったイタリア旅行だって、自分にとって大切なものを知っていれば、全く違う過ごし方をしたはずなのに。やっぱり、自分にとって大切なものを知ることは、幸せな人生を送るための第1歩なのだ。
1. 母と娘のイタリア旅行
夫と結婚してすぐの頃、新婚の夫を置いて、母と2人で海外旅行をした。
この先子供ができたりすれば、母と2人で旅をすることは難しくなるだろうから。こういうのもいいかなと思って。
母と娘、2人きりの旅をすることにした。
季節は秋。行き先はイタリア。
死ぬまでに行きたい場所として、母が挙げた場所に決めた。
母は若い頃、「ロミオとジュリエット」をひとりで何度も映画館に観に行くほど好きだったらしい。
ロミジュリの「Oh ロミオ、あなたはなぜロミオなの」というシーンは、もうええって。ってくらい何度も聞かされた。
2人にとってイタリアは未到の地。
特に母を連れての海外旅行は不安もあったので、行程が完璧に組み込まれた、添乗員さん付きの団体ツアーに申し込んだ。
移動はオール観光バス。
移動中は昼寝し放題。
これなら安心。そう思った。
もはや2人旅ではない。
ロミオとジュリエットの舞台、ヴェローナは入っていなかったけれど、ミラノからベネチア、フィレンツェ、ローマ、バチカン市国、ポンペイ、ナポリ、カプリ島、アマルフィまでを網羅した欲張りさんのためのツアー。
ミラノでは高級ブランド通りを練り歩き、お得でセレブなショッピングを。
フィレンツェでは、R指定とは知らずに母と2人で映画館で見てしまい、気まずすぎる空気が流れた「冷静と情熱のあいだ」に思いを馳せる。
ベネチアではゴンドラに乗って優雅に運河を渡り、ローマではヘップバーンになりきろう。
ナポリで本場のナポリピザを食べて、運がよければカプリ島で青の洞窟を体験。
最後はアマルフィの絶景で締めくくる。
夢のようだ。
これでこそ頑張って働いた甲斐があるというもの。
初めてのイタリー旅行への期待にむねを膨らませ、欲張り親子はたっぷりイタリア6日間の旅に出た。
ミラノ、ベネチア、フィレンツェ、ローマ、バチカン市国、ポンペイ、ナポリ、カプリ島、アマルフィ、たっぷり6日間の旅。
それがどういうことなのか、今ならわかる。
なにがたっぷりなのか、今ならわかる。
どこでもドアがあったとしても厳しすぎる行程。
移動はオール観光バス。
たっぷりバス移動の6日間。
こっちはイタリアまで行って「水曜どうでしょう」やろうってんじゃないんだ。
なんでこんなツアーを選んじまったんだ。
日本なら青森から出発し、仙台、東京、横浜、名古屋、京都、大阪、淡路島、広島、これを6日間で制覇するようなもの。そんなツアー、新幹線がある日本でもお断りだ。
分刻みのスケジュールで移動し、楽しみにしていたナポリピザをたった10分で食べさせられることになるなど知る由もなく、欲張り親子は旅に出た。
なんでも欲張ったらあかんなー、と思う。
2. ミラノで最初のディナー
ミラノから始まった旅は、残念すぎる夕食で幕をあけた。
観光バスを降りて、雨が降る真っ暗なミラノの街を、必死で添乗員さんの後を追って歩き、謎な建物にようやく辿り着いた。ツアー客しか来ないであろう、ミラノを1ミリも感じさせない、殺風景なレストラン。
飛行機遅延のせいで到着が遅れたのでお怒りなのか、不機嫌な店員さんによる雑でクイックなサービングが始まった。
お料理を並べる時に、お皿がテーブルの上をスライディングする。
最初にスライディングサーブで目の前に現れたのは、雑にちぎっただけの紫キャベツが盛られたお皿だった。わたしたちは息を呑んだ。
ん?これはいったい何かな?
美食の街イタリア、に来たんやんな?
紫キャベツはイタリーではこうして食べるんかな?
これが紫キャベツの最先端料理だと自分に言い聞かせる。
料理は文化。
郷に入れば郷に従え。
ちらりと母を見ると、戸惑いに溢れた目をしていた。
だよね。
幸い、わたしたちの戸惑いの沈黙に気づいた添乗員さんが、すぐさま店員さんに聞いてくれた。
どうやら紫キャベツのサラダには各自、卓上に置かれたバルサミコ酢をかけるらしい。卓上のバルサミコ酢に全員の視線が集まる。
卓上のバルサミコ酢。わたしたちのバルサミコ酢は、たとえ食後だとしても、もっと残っているだろうというくらい底溜まりしかなかった。
母の目からは力が消えた。
わたしたちは、底溜まりのバルサミコ酢を同テーブルの4名で少しずつ分け合い、数滴のバルサミコ酢をポタポタと垂らした紫キャベツを、むしゃむしゃ食べた。
紫キャベツは生で単品で食べると苦い。そしてかたい。噛むほどに苦味を感じるので、わたしはできるだけ噛まずに、飲み込めるギリギリの咀嚼で飲み込んだ。
誰ひとりとして文句を言わずに、生気を抜かれた囚人のごとくいただいた。
それはもう、静かな食事だった。
ミラノまで来て、なにが嬉しくてバルサミコ酢分け合わにゃならんの。
このツアー、やべーやつか。
ごはん、こういう感じなんか。
ツアー客全員が心の底で叫んでいたと思う。少なくともわたしは、そうだった。
翌日はミラノのガッレリアへ。巨大なアーケードがあり、雨に濡れないから最高。
全天候型のスケジュールが入っていて助かった。
イタリアに着いてからずっと雨で、2日目にしてすでに雨がなければ楽しい。という境地に入り始めていた。
楽しみにしていたミラノでは、ショッピングを楽しむような優雅な時間は与えてもらえなかった。
短い自由時間の過ごし方として、添乗員さんがテイクアウトできるカルツォーネをお勧めしてくれたので、高級ブランドに脇目も触れず、いちもくさんにそのお店へ。
前日にバルサミコ・デ・紫キャベツを食べさせられて、ミラノの食に疑心暗鬼になっていた母とわたしは、ひとつだけ買って、2人で半分こした。
これが、おいしくて。ミラノでようやくおいしいものにありつけた感動もあいまって、よく覚えている。
地元の人が行くようなお店で買い食いするのは、旅の醍醐味。カルツォーネに時間を全振りして正解だった。
添乗員さんがおすすめしてくれなかったら、ミラノの記憶は、バルサミコ・デ・紫キャベツになっていただろう。
どう考えても、ミラノにはおいしいものがたくさんあるのに。
わたしたちはそれらを味わうことなく、次の地へ向かった。
3. 雨季のイタリアの楽しみ方
翌日も、当たり前のように雨が降っていた。
iPhoneで天気予報を確認するも、イタリアで過ごす6日間は、見事に傘マークが並んでいる。
たまに表示される雷マークを指差して
「これってお日様が差し込んでるマークではないよな?」と母に確認した。
雷のマークを、日光が差し込むマークと読み替えたくなるくらい、毎日雨予報だった。
そう。イタリアは雨季に入っていた。
どうりで、格安だったわけだ。
母は自分は晴れ女だと自信を持っていたようなので、全日程雨予報ということに落ち込んでいて、なんだか申し訳なかった。
母には言っていなかったけれど、わたしは雨女なのだ。
海に行っても、沖縄に行っても、台風を呼んでしまう女。
社会人1年目の7月1日、1番いい時期といわれる沖縄に行ったとき、台風1号が生まれて上陸してきて、わたしは雨女の宿命を受け入れた。
それでも、つらい。6日間ずっと雨だなんて、わたしでもつらすぎる現実。
雨雲はこのツアーに同行しているかのように、このバスの上空に張り付いて移動する予定。晴れ旅の経験しかない母にとっては辛い旅だったろうと思う。
行くまで知らなかったのだけど、雨季のイタリアは、観光のハードルが高い。
趣のある古い街並みが美しいわけだけど、その雰囲気をかもしだす石畳は、雨が降るとトラップと化す。
どこもかしこもツルツルの石畳トラップ。
とにかく、滑らないように。転ばないように。細心の注意を払って、足の踏み場を一生懸命探しながら歩いていたから、イタリーの美しい街並みなど、ほぼ記憶にない。というか見ていない。
でも心に残った場所もある。
出発前はそんなに期待していなかった場所が、この旅の思い出を支えてくれた。
ひとつめは、ローマのコロッセオ。
コロッセオに到着し、バスをおりた時、雨が止み、遠くの空に青空がのぞいていた。
「晴れてる!お母さんあそこに見て!青空が!」
「うわぁ。ほんまやぁ。晴れてるぅ。」
頭上はいぜん、どんよりとした雲に覆われている。
それでも、遠くの空に見えた、雲の切れ間の青空を見て興奮し、その喜びを噛みしめあった。コロッセオ以前の話である。
もうひとつはポンペイの遺跡。
ヴェスビオ火山の噴火により、一瞬のうちに火砕流に飲み込まれた街。ポンペイ。その遺跡が、当時の姿を思い描けるレベルでリアルに残っている。
ポンペイに着いた時、雨が止んでいた。
またそれかい。
はい。これがすべてなんです。
雨のない喜びでテンションはあげあげ。
傘はバスに置いて、テルマエロマエの世界を満喫した。
結局、傘なしで楽しめたのはその2箇所だけだった。
アマルフィなんて霧で真っ白で、感じられたのは断崖絶壁で落ちたら終わるってことだけ。
雨季だから楽しめなかった。ずっと雨だったから。
今までそう思ってきた。母だって、そう思っているはず。
でもいま、ちょっと考えが変わった。
雨が降ってきたら、ちょっとオシャレなローマのカフェでゆっくりしてみたり、美術館や大聖堂をめぐることにしたり。ローマのスーパーマーケットに行ってみるのもいい。
雨でも楽しめることをやっていれば充実したものにできたはず。
なんせ、全行程バスのツアーに参加してしまったから。それが悔やまれてならない。
自分で調べずに楽しようとした結果だった。
4. アクアラグナとイカスミスパゲティ
ミラノの次は、待ちに待ったベネチアへ。
イタリアといえばの、水の都、ベネチア。
ベネチアに向かう朝も、添乗員さんは浮かない顔をしていた。そして、申し訳なさそうに話を切り出すと、ベネチアの耳を疑うような現状を説明しはじめた。
現在、水の都ベネチアを高潮が襲っていて、行っても上陸できない可能性があります。
ベネチアを襲う高潮。
その名も、アクア・アルタ。
アクア・・・なに?
は!!
あれか。
昔読んだワンピースのワンシーンが脳裏によみがえる。
「アクア・ラグナがくるぞ」
あれだ、アクア・ラグナだ。
水の都、ウォーターセブンを襲ったやつ。
水の都、ベネチアに、リアル・アクア・ラグナがきたってのか。
やべーやんそれ。
いやそんなこと、ある?!はるばる日本からやってきてさ、毎日雨でさ、その上アクア・ラグナなんて。
漫画じゃないんやから、リアルなひよっこ親子旅なんやから勘弁してほしい。
添乗員さんからのアナウンスに車内は意気消沈して静まり返ったが、ダメ元でベネチア上陸にトライすることになった。
だって、他にやることないもんな。トライするしかないよ。
レッツトライだよ。
船に乗り換え、アクア・ラグナ襲来中のベネチアへと向かう。
どうか。どうか。上陸できますように。
船に乗ると雨が止み、甲板に出て傘なしで景色を見られるようになった。
大運河から見るイタリアの街並み。ほんとうに素晴らしい。
イタリアに来たんだー!って実感がわいた。
ようやく。
ベネチアへの期待も最高潮に高まる。
高潮だけに。
桟橋を前にして、添乗員さんからの上陸に関する説明が始まった。
どうか、上陸させて!
私たちに水の都の地を踏ませて!
誰もが心の底から願ったと思う。
「なんとか、ギリギリ上陸できます。」
「やったぁ!水の都〜!」
「ただ、街は水没しています。」
「…?あんだって?」
ひとみばぁさん現る。
いやいや、こちらは全員丸腰。
長靴を履いているツアー客なんて1人もいない。
くそーっ!なんで長靴持ってこなかったんだ!長靴を持ってくりゃよかった。と訳のわからんことを真剣に悔やんだ。
「注意。ベネチアへ向かわれる際は長靴をお持ちください。」
ってパンフレットに書いておいてよ。
しかも、普段のアクア・ラグナのときは木の橋が設置されて、その上を歩くことができるらしい。でも残念ながら、今日は橋の設置が間に合っていない。らしい。
なんとかしてくれよ。
行きますか?どうしますか?
とかいう選択肢はこちら側にはない。
過酷な団体ツアーの宿命。
迷うことすら許されないのだ。
入水の覚悟を、決めた。
靴、これしかないけど。
水に浸る前に絶望感に浸っていると、桟橋に出る前に簡易的な長靴が売られているのでまずはそれを購入して履くように、添乗員さんからおすすめされた。
助かった。
長靴あるんかいー!
さすが水の都、アクア・ラグナ襲来を読んでいる。簡易的な長靴を販売してくれるなんて、ありがたい。
桟橋手前のタラップで、わたしと母もベネチア製の長靴を購入することができた。
どこまでが海でどこからが陸なのか、わからなくなっている桟橋を見せつけられ、長靴は飛ぶように売れていた。
こんな一方的な商売、あっていいのかと思う。
しかもね。
これは、どう見ても。
簡易的な長靴、ではない。
袋の口に紐がついた、ただの長細いビニール袋と、靴底代わりのプラスチック板。フルセットで8ユーロ。8ユーロのぼったくりゴミ袋なのだ。
ゴミ袋を履いて、太もも辺りを付属の紐で縛る。その上から、靴底プラスチックを踏み、結束バンドで足に縛り付ける。
なんやねんこれ。
忍者ごっこしてんちゃうで。
忍者の水上歩行修行さながらのいでたちが完成した。
見た目も強度も不十分すぎるベネチアン長靴は、おしゃれな黄色と水色の2色展開。桟橋はすぐに、このポップな2カラーに埋め尽くされた。
プラスチックの靴底と、ベネチアの街の石畳の道の相性は最悪だった。
冗談抜きで、ツルンツルン。
歩く時の体重移動に全神経を注ぐ必要がある。
変わり果てたベネチアの街をキョロキョロしながら歩くことすら許されない。
一瞬でも気を許せば、すってんころりんなのだ。
世界一美しい広場と評されるサン・マルコ広場の前で、写真撮影のために立ち止まった。
普段はオープンカフェがあったりして、お茶を飲めるらしい。なんて素敵。
でも目の前に広がるのは、サン・マル湖。
ガイドブックの写真にあるような陽気で幸せに満ちた広場の面影はない。
サン・マル湖をゆくひとは、膝下まで水に浸かっていた。
いつも霧で閉ざされていることから、霧の摩周湖と呼ばれるあの湖でさえ、家族旅行で訪れた時は見事に晴れ渡り、普通の湖になっていて、逆に残念、くらいだったのに。
なんで今日はサン・マルコがサン・マル湖になるわけ。
しかも8ユーロも出して買ったベネチアン長靴は、ペラペラで。
摩擦にはすこぶる弱い。
歩いているうちに、当然どこからか水が浸水して、水入りゴミ袋に足を突っ込んでいるというシュールな状態をつくりだす。
水没していない場所を歩く時も、ベネチアン長靴の中だけは冠水していた。
自主冠水。
あこがれのベネチアに上陸できたと思ったが、実際わたしたちは入水し続けていた。
試練の中、ツアー客は一丸となって汚水の中を突き進み、やっとの思いでレストランに到着した。
その日の昼食はベネチアのイカスミパスタ。
本場イタリアでイカスミパスタが食べられるのを、わたしは楽しみにしていた。
団体ツアーでイカスミは、大丈夫かな。おはぐろ。
とも思ったけど全員共犯なので逆にあり。
足の先から冷え切ったわたしたちは、暖かい店内に通されてほっとひと息つく。
やっと水から上がれる。
陸でお昼をいただける。
ね。
昼ごはんくらいは陸地でいただけると思うでしょう。
いやいや、ここは水の都。
日本の常識など通用しない。
店内はくるぶしまで冠水中ナウ。
自主冠水中のベネチアン長靴からも水が引くことはない。
足が水につかったままの日本人観光客に、平気な顔でイカスミパスタが運ばれてくる。
拷問。
足が、冷たい。
なんの罰ゲームなのか。
流石に、味も、パスタの見た目も、よく覚えていない。
イカスミパスタよりも環境のインパクトが半端なかった。
堂々たる水中レストラン。
さすが、水の都だ。
イタリアでは何度かパスタを頂いたけど、どれも素朴なわりにおいしくて、手打ち生麺な感じがした。
でもそのイカスミパスタだけは本当に覚えていなくて。いつかまた、イタリアのイカスミパスタを食べてみたいな。今度はあたたかい陸地で。
ホテルに戻ると、全員がずぶ濡れの靴をなんとか乾かそうと必死だった。
ホテルにある新聞紙もらえたが、入手部数があまりにも少なくて。なけなしの新聞紙をツアー客同士で少しずつ分け合い、ちいさな新聞ボールを靴に詰めた。
バルサミコ酢だって新聞だって、分け合いの精神が試される、人間力向上ツアーなのだ。
わたしたちのツアーと同じ日程で、同じ旅行会社の、南から北上してくるツアーに参加していた方々と、翌日の朝食でご一緒した。
北上組は天候に恵まれて、青の洞窟まで体験できたというので羨ましいのひとことだった。南下組は呪われているというのに。
わたしたちがカプリ島に着く頃、南イタリアの天気は大荒れとなり、カプリ島に渡れるかどうかすら危うい状態だった。
島は霧に閉ざされ、青の洞窟体験など検討の余地もなかったことは言うまでもない。
5. わたしが旅をする理由
ほんとに全てが修行みたいだったこの旅。
せっかくイタリアに行ったのだから、行く場所も食べるものも、自分で探して選べばよかったと後悔しちゃってる。
美食のイタリアの端くれも味わえない旅だった。
なのに、これはこれでいい思い出になっているから旅とは奇妙なものだ。
旅を共にした人との共通の経験と記憶は、旅から戻っても、そこから年月が流れても、その時のことを昨日のことのように一緒に思い出し、思い出話に花を咲かせることができる。
アクシデントに見舞われた旅でさえ、むしろそれが愛おしく感じられる。なんだか人生と似ている。
後から思い出し、満ち足りた気持ちになる。そのときのために、わたしは旅をするんじゃないかって思う。
だからなのか、単に強欲なのか、とかく自分へのおみやげ選びには余念がない。
もうすぐこの旅も終わるなって思うと、寂しくて。旅が終わって、いつもの家に帰ってからも、この度を思い出し浸れるように、たくさんのおみやげを用意する。自分に。
さあ、おみやげ買おう、ってなった時、だいたいみんな誰に渡すかを考えながら選んでいる。
友達、会社、近所の人、お付き合いのひと、前におみやげをくれたひと、などなど。誰かにあげるおみやげでカゴをいっぱいにしているから、ええの?それでええのん?って思う。
わたしのカゴにも、誰かのためのおみやげはもちろん入っているけれど、実はわたしのカゴは、自分のためのおみやげで埋め尽くされている。
旅の思い出をそこに詰め込んで持ち帰るように、帰宅後も旅の続きを楽しめる、おいしいものでいっぱいにする。
家に戻り、旅の余韻がまだ残る中、コーヒーを淹れていつもの椅子に座り、旅先から持ち帰ったお菓子をひとりつまむ。
家族が揃ったら、旅先で仕入れた食材でごはんをつくり、「これ空港で買ったやつやで」なんていいながら、たのしかった旅の話で夕食を囲む。
これが、わたしにとっての旅なのだ。
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