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ポンコツな私のウツ歴史①

脳には、生来の許容量というのがあり、私のそれは、どうやらあまり大きくないようです。

丈夫ではないのに、運と見栄えと突破力で、ロスト・ジェネレーションながらついつい夢をかなえてしまい、しかし夢には責任が伴うために苦しくなり、全部放り出し、今呆然としている、44歳のおばさんの話が、誰かの役に立つのかな?

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まずは、幼少期から。

睡眠に関しては、幼い時から、自覚的に課題を抱えていました。

何か変わったことがあると、眠れなくなる。遠足とか修学旅行で目が冴えるということではないのです。ある意味そういった非日常には非常に鈍感。でも、毎夜ベッドに入り眠りに落ちるまで、悶々としていました。入眠までに平均1時間ぐらいはかかっていたと思います。眠る前の儀式として本を読むのですが、その本の中毒のようになってしまい、ベッドの周囲には本が散らばっている、というような状態でした。

そして、朝は弱い。

学校の朝礼で倒れる女の子って、必ずいましたね?

私はその種の女の子の一人でした。

ですが、そんな女の子は、中学2年生まで、クラシックバレエに心酔します。

もちろん、ほめられなければ、心酔なんてしないのですが、私はなにせ、入り口の「見栄え」が良かった(笑)。プロポーションが良かったのです。

なので、弱小なバレエスクールでチヤホヤされて、夢中になっていましたが、中堅のスクールに代わって、チヤホヤが減少したある日、突然やる気がなくなりました。

というのも、バレエって、振り付けを覚えなくてはいけないのです。発表会の曲だけでなく、毎日のバーレッスンも、毎回全部即興で振り付けられるので、それを一回で覚えて上手に踊る能力が「日々」必要です。女優さんでいえば、セリフを覚えるようなものでしょうか。実質、女優さんも、演技力や容姿はセリフ覚えの次の話ですよね。バレリーナで言うと、振り覚えがセリフ覚えなのです。

それがだんだん苦痛になった。面倒くさくなったのでしょうか。


急にバレエへの情熱をなくした私は、勉強はできない方ではなかったので、親に頼みこんで、近所で一番高額な塾に通い始めました。憧れていた高校があって、受験勉強をがんばることにしたのです。しかし、目標がいささか高すぎたのもあり、高校受験はあえなく撃沈。大学受験も失敗しましたが、一浪の末、阪神大震災の大混乱の中、被災地のど真ん中にあった関西学院大学に合格しました。

ここだけの話、震災のせいで合格ラインが低かったかもと思っています。

入学してからも、単位はギリギリ、成績も最低限。Aはほとんどお目にかかりませんでした。留年だけは、女の子だし、恥ずかしいから避けなくてはいけないと思って頑張っていましたが、バブルの気分をまとっていた私は、「大学は入ることが大事。私立大文系は入ってしまえばギリギリで単位を取ればいい」と思っていました。

でも、この頃もやはり朝が大変で。

必修科目の試験に寝坊して受けられなかったこともありましたし、出席が厳しい語学の授業の、「最低出席日数」も、本当はクリアできたかどうか微妙。思い起こせば、大事な模試の日や、はては入試でも、寝坊して受けられなかった大学があったほどでした。

しかし、なんとかなったというか、してくれたというか。。。たぶん、男子だったら教授たちも落としたかもしれないのに、私がだらしないながらもかわいらしい女子学生だったから、なんとなく落とされなかったんだと思うのです。たぶん、スレスレアウトなんです。でも、そのスレスレを、いろんな人が救ってくれていたのだと思います。

つづく

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