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初めまして。①




初めに


ご覧いただきありがとうございます。

私は「うつ病」と診断されるまでに追い詰められ、
人生も投げ出してしまおうかと思ったことも
あります。
今現在も完全に乗り越えたわけではありませんが、病と付き合いながら、少しずつ前を向いています。

そんな中で、同じような想いを抱える人に、
少しでも何かが届くことを祈って、
身バレ防止のために伏せることもありますが、
できる限り赤裸々に、私の想いや経験を
書き記していくことにしました。

私の経験が、
少しでも誰かの生きる糧になれば幸いです。

以下、長くなりますが、お暇な時にでも
目を通していただけると嬉しいです。


1.簡単に自己紹介

◯2024年現在 20代半ば
◯きょうだいの末っ子として生まれる。
(兄と弟という構成では無いため、
「きょうだい」と平仮名で表記しています。)
◯母子家庭で育つ。
◯きょうだいがADHDと診断されたことを
 私が20代になって知る。
◯2024年 社会人5年目にして
 初めて心療内科を受診。【うつ病】と診断。
◯約2ヶ月半の休職を経て、復職した経緯あり。
→2週間で退職に至る。
◯現在、心療内科の受診と
 抗うつ薬内服を継続しつつ、転職活動中。
 

2.幼少期

母子家庭で生まれ育ちました。
私が3歳くらいの時に離婚しており、父親とは会っていないので、写真でしか顔は知りません。

母は夜勤をしていたこともあり、日中はほとんど
寝ているという記憶しかありません。
小学校の時の授業参観など、「行くからね。」と
約束したにも関わらず、学校に現れる様子は無く、帰ってきたら家で寝ていて、「ごめん、寝てた。」ということが何度もありました。
もちろん、大人になった今では、
女手一つで子育てをしながら、夜勤をするという
毎日を過ごすことの苦労が痛いほどわかります。

けれど、子ども心には、その経験が
辛くて、悲しくて。
それが何度も続くうちに、「諦め」ということを
覚えた気がします。

3.友だちに違和感を感じ始めた10代

幼少期は男女問わず、
友だちが多かった気がします。

けれど、今思い返すと幼少期から
「仮面ライダーごっこ」であったり、
小学生の頃は、面白かったギャグコメディのようなYouTubeの動画の話題で盛り上がるなど、
男子と関わることが楽しかった記憶があります。
10代前半の頃は、友人関係に難しさなどは
感じていなかったと思いますが、
それでも時折、
「連れション(一緒にトイレに行くこと)って
何の意味があるの?」
「何で陰口であったり、人が嫌がることを
平気でするんだろう。」
といった、女子特有と括るのは申し訳ないですが、このような出来事に疑問を抱くことはありました。

とはいえ、生物学的な性に疑問を抱いていたということでは無く、性自認は身体と一致していますし、恋愛対象は異性でした。
けれど、この頃から「女性らしさ」「男性らしさ」といったジェンダーには疑問があったのかなと
思います。

4.きょうだいが少し変わっていると感じ始めた10代

私は末っ子で、上にきょうだいがいるのですが、
自分や周りと比べて、少し変わっているなと
子どもながらに思っていました。

例えば…
◯よく忘れ物をするし、無くし物もする。
(20数年生きてきて、財布は10回以上無くしてると思います。)
◯部屋は散らかすし、ゴミも片付けずにそのまま。
◯ゲームなど何かに集中すると、
 こちらの話が全く耳に届かない。
◯約束していた予定を忘れる。
◯夜中にもゲーム中に大声で笑ったり、
 独り言を言ったりする。
 注意しても、翌日には無かったかのように、
 また同じことをする。その繰り返し。

これは一例ですが、今考えると、ADHDの特徴に
当てはまるものが多くあります。
けれど、この頃の私にはそういう知識はありませんし、周りとは少し違うなとは思いつつも、
それを寛大に受け止められるほど大人でも無かったので、とにかくそんなきょうだいが嫌で嫌で
仕方なくて、ストレスが溜まる一方でしたし、
こんな変わったきょうだいと、散らかった部屋で
過ごすことが苦痛でしかなくて、
早く出て行きたいと思っていました。
(つい最近になって、そのきょうだいがADHDと
診断されていたことを知りますが、
それについてはまたどこかで詳しく書きます。)

長くなりそうなので、
今回はここまでにしておきます。

また書きます。




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