これはきっと、美なんかでは表せない。
先日、Googleストアを閲覧した時のことだ。
スマホの機種変に迷いに迷っていたので、ガジェットYoutuberの動画をたらい回しにして名前も知らないYoutuberの使うAppleアバターにウザついて幾ばく。
iphoneSE (第3世代)以外のシンプルで生物的なデザインはないかと(金銭的理由で)思案してたのだが、ちまたではGoogle Pixel 6aがミドルレンジモデルだと1番コスパがいいそうなのだ。
ぶっちゃけAndroidでもいいのだが、やつらのデバイスって美しくないんだよなぁー。四角いし。
でもちょっと気になるので、とりあえずHPを見に行ったのだよ。
そこでみた宣材写真が忘れられない。
おそらくPixel6aでとったであろう女性は平たくいうと右腕がなかった。
肘を含めて下がないんだ。
ちょうど切断面がはっきりとみえるかたちで、それを曝け出している。
いやもちろんモデルさんだから、めっちゃ綺麗なひとなんよ。
でもリアルな切断面(いや切断というか境目)と女性の美しさがアンヴィヴァレンとで、非常にグロテスクだった。
※ここでいうグロテスクとは『醜い』とかの意義ではなく、文学的な意味のほうです。わからんやつは調べやがれ。
簡単に説明すると、相反する二つの属性が混ざり合って、えもいなぬ作用を及ぼす。それがアンヴィヴァレンとでありグロテスクだ。あーゆーおーけー?
誤解しないでほしいのは、俺は頭ではそれを新しい美しさの形だと瞬時に認識したということ。
いままで歴史的に虐げられてきたそういう方々がいま、こんなにも堂々としている。それは誇らしいことであり、すごいことだ。
さすがグーグル、先進的ぃ!とまで、ものの数秒でいたった。
けど俺たちは知ってる。言葉にしないだけで。もしくは既存の価値観に囚われているのかもしれないけれど。
けど声を大にして言わせてくれ。
おれはその切断面を見て、本能的に恐怖をほんのコンマ数秒、覚えたんだよ。
女性の美と右腕の(非常に言葉にしずらいけど生物学的不完全さ、あえていうなら)醜。
もちろんそれは昔の価値観だと思うし、モデルさん対しても失礼だ。俺が非常に恵まれていて、ただ見慣れていないだけな可能性の方が大きい。
当人からしてみれば、それも自分で。おそらくいろんな葛藤なり苦労を重ねてそれでも、前を向いて自分を愛して。だからこそこんなに堂々と写真に収められていて美しい。
でもさ、やっぱり。生物学的に本能的にわずかでも覚えてしまったんだ。
それは決して罪ではない…と思いたい。と、いうか、そう思える余白があって欲しいと(理性でそれを否定しながら、)俺は思ってしまう。
あくまで生物学的に考えて、本来(←言い方が非常に語弊があるけど)、そこにあるものがないという境目。
それを見て、理性と現代の価値観を総動員して納得させたとしても、本能的にこれは美じゃねぇと自負する。
この写真はきっと、美なんかでは表せない。
てか、そういう領域じゃない。これは芸術だ。
ぶっちゃけ、この写真の意図はわからない。なんのために撮ったのかなんてそれこそ宣材だろと思う。
でもこれが新しさなんだなとも思うのだよ。Googleのようなビッグもビッグな企業でこの写真を扱うってことは、それだけ世の中の影だった部分が少なからずライトを向けられるようになったってことなんだ。
かつてはそれが文学の領域だった。もしくはとち狂った写真家芸術家(褒めてます)が死に物狂いで伝えようとしていた。
だから改めて視覚情報としてグロテスク(←さっきと同意義)を認識すると、衝撃が走るよね。
この写真にどんな意図が込められてようとも、もしくは俺の考察なんてマジでとるに足らないものだとしても、このモデルさんの勇気と決意に心の底から敬意を称する。
でもだからこそ、これを美というイメージだけで塗りつぶすのは違うと思うんだ。
日本語ってこういう時に不便だな。もっと別の感情をつけられたらいいのに。
これは美なんかでは表せない。それを受け手はちゃんと認識するべきだと思う。
いやきっと受け手はそんなこと考えてないと思うけどね?ただなんとなく、そうしたいなーって思っただけさ。
おわり。