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鬱っぽくなって、たぶんコロナに救われたはなし ー外国に住むということー

ナナシノユキサンは、ヨーロッパのある国に住んでいます。この国とナナシノユキサンの相性は、とっても悪いのです。

悪いイメージを持って移り住んだわけではなかったけれど、特に良いイメージもなく、どちらかというと、興味のない国

実際に住み始めて、単純なる事実として、好き嫌いの問題と、相性が良くはなさそうだ、とは感じた。それでも、パートナーが行く集まりがあれば同行してみたし、語学学校で習った片言で会話を試みたり、言語交換ができる人を探して会ってみたり、自分としては、できる範囲で前を向いていたつもりだ。

そんな関わりを通して、少しずつ少しずつ、心がトゲトゲしてきた。勇気を出して行ってみても、ほとんどいつも、疲弊して、後悔して帰ってきた

どんどん嫌いになっていって、"好きなところを見つけよう"、とか、"前向きにならなきゃ"、"自分が変わっていかなきゃ"、なんて思えば思うほど辛くなっていって、この国の悪口をジョークのように話して笑う、というのが一番のストレス発散で、気が楽になった。

日本に住む友達が、励まそうとして、この国が特集されたテレビ番組を見ては、とても魅力的で羨ましい!なんて話をしてくれるのも辛かった。

最低限の人との関わる中で、いつからか、「もう人に優しくするのやめよう」と心に誓うことが多くなり、このままここにいたら、どんどん自分を嫌いになってしまう、と思った。

キャリアという意味でもどん詰まりで、何か可能性を探して適性テストなんかを受けてみると、設問に対して「本当の自分だったら~~だが、ここでの自分で言えば~~だ」という答え方ばかりしていた。

元々シャイな方ではあったが、同時に、ダメでもダメでも自分のことは好きでいられる、という自己肯定感の見本のようなタイプだったのだ。

それが"ここでの自分"は、一歩家の外に出る度に、全身鎧を纏って「誰も見ないでくれ。話しかけたりしないでくれ。」と願いながら、自分が歩く道をあちらから人が歩いて来たならば、だいぶ遠いうちから、向かい側に移動する、なんていう絵に描いたような後ろ向きの生活をしていた。頑張って集まりに顔を出してみる、なんていうこともだいぶ前に辞めていて、勝手に「今はお休みの時なんだ、きっと」と思い込むことで、大丈夫であろうとしていた。

ただ、"ここでの自分"や「今はお休みの時」と言い続けるには、ちょっと無理があるような年月が、あっという間に過ぎてしまった。ずっとその状態のままで。ここでこのまま年老いるぐらいなら、いっそ車に轢かれちゃわないかしら、なんて思いながら。

そんなときにコロナというのが始まったのだ。

ナナシノユキサンが務める会社も、リモートワークをしてよいことになり、家に籠る時間が多くなった。家の中では完全に守られているのだ。

食料品のお買い物も、毎日、パートナー(こちらも同じくリモートワーク中)と一緒に、大きな壁に守られながら行くのが習慣になって、大好きな大好きなおもちくん(我が家の黒ねこ)が、毎日ずっと傍にいて、極上の幸せを感じている時間が長くなった。

物理的に接することがないので、意識する時間が減った分、この国の悪口を言うことにも興味がなくなったし、"ここにいる自分"でなく、ただの自分になれる時間が増えてきた。意識が自分に行き始めた。

リモートワークで使える時間もグンと増えたので、少しずつ、自分はどこにいたいのか、何をしたいのか、なんて考えて、必要な行動を始められるようになった。去年は、エクササイズをする習慣が完全についたし、キャリア面も、新たに進みたい道を見つけて、使える時間をすべて勉強に使った。ここから引っ越して、自分の足で立たなくちゃ、という思いに駆られて、そしてありがたく今も続くリモートワークのおかげで、たぶん、前を向き始めた。やっと、"前を向く"っていうことを思い出したのだと思う。

相変わらず、この国やこの国の人々を好きになれたわけではなく、自分で変われたわけではないのだ。そんな人はどこに行っても同じだ、と言われてしまうかもしれないし、根本的に解決できたわけではないかもしれない。

たくさんの人が亡くなって、想像するだけで辛い別れをした人も多かった、コロナというもがもたらしたものを、「私にはこの時間が必要だった」と言ってしまうのは余りに自分勝手で残酷だし、情けないのだが、またひとつ年が明けて、おもちくんとパートナーの愛のおかげか、時間のおかげか、はたまたタロット占いのおかげか、非常に気持ち前向きな今、フッと振り返って、大変だったな、と記してみたくなった。

と、誰のためにもならない暗いお話、ことわりもなく、長々と失礼しました。

以上、ナナシノユキサンでした。



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