仏教の「正しく理解する」とは
最近、仏教について勉強している。宗教は、考え方、捉え方だ。信じる信じないは置いておいて、昔から続く宗教の考え方は、今に通じるものがある。
伝統的に、貪欲・怒り・妄想を三毒、「人間の三大煩悩」とされる。これを戒めなさいというのが仏教だ。私煩悩まみれじゃんという気持ち。
ブッダとは「目覚めた人」という意味だが、「正しい理解を極めた人」という意味だという。正しい理解とは、自分が正しいと考える、ではなく、むしろ自分の思う正しさの解釈や判断や見方をいっさい差し引く。そして「ある」ものを「ある」とし、ありのままに、客観的な目で、物事を見すえることを意味している。
正しい理解を極めた人が達する境地を「解脱」というが、自由・解放を意味する言葉。正しい理解によって、人間の苦悩から自由になる、というのが仏教の教えだ。
人は3つの執着に苦しむ。
①求めるものを得たいという執着(だが叶わない)②手にしたものがいつまでも続くようにと願う執着(やがて失う)③苦痛となっている物事を無くしたいという執着(簡単には無くならない)
苦しみが止むという状態は、執着が完全に止んだ状態
執着を取り除きましょう!と言われても、これめっちゃ難しい。いざイライラしてる時に「あーー自分は今イライラしてる!でもこれは求めすぎてるだけだー!」とラベリング頑張っても、イライラが簡単に収まるとは思えない。
ではどう取り除くか。
反応する前に、まず理解する
1.悩みの原因は「心の反応である」
2.「心の反応」の背景には、求める心や7つの欲求(特に承認欲求)がある
3.心の状態を理解するには①言葉で確認する②感覚を意識する③貪欲、怒り、妄想の三つに分類する
これで苦しみを作り出す無駄な反応を解消していく
いやいや、そんな簡単じゃないです(-.-)y-., o …
でも、原始仏教では、この煩悩を取り除く方法を「道」と表現する。苦しみを生み出す判断を手放そう、という決意に立ち、その「方法」を実践する。これが「道をいきる」という生き方。なるほど。
私は、今年自分の喜怒哀楽を言語化することをとにかく大切にしたい。考えるのが大好きな私には、考えてる状態に満足して何も答えを出さないことが多い。特に怒哀を放置しすぎて鬱になっているので、感情を理解することを意識する。
明日から新しい職場だ〜!自分の喜怒哀楽が激しく揺れそうな環境、たのしみ!
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