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「めんどくさいこと」は本当はやりたいこと

自分の中で
「めんどくさい」
「めんどうだなぁ」
が、出てきたとき。

たいがいにしてそれは、
ずいぶん前に、なんやかんやと
イチャモンつけてやらないことにした、
私のやりたいことだった。

なので、「ああ、めんどくさい」
が、でてきたときは
最近はチャンスとばかりに
嬉しくなる。

まずは自分に
「それをすることは嫌なのか?」
と聞いてみる。
その答え次第だけど、
もし本当に嫌ならば、それでOK。
やらないか、
やらなくて済む方法を探すことにする。

でも、
「嫌ではないけど、面倒なんだよなぁ。」
となったら
「ああ、やりたいことなんだな。」
「やるやつなんだな。」
と、腹を括る。
それは、やりたいことの先っぽが
頭を出し始めたことだから、
逆らうことや、言い訳をあきらめて、
重い腰をあげることにする。

やってみると、
今のところ100%くらいの確率(たぶん)で、
かなりの満足感を得ているから面白い。

例えば、私の場合、
「パン焼きたいなぁ!」

「でも、やっぱり面倒だな」

となって、そのままやめてしまっていた。

そんな私は
パンを焼いている人をSNSで見ては、
「いいなぁ」と眺めていたりしたのだ。

「めんどくさい」は
そのことをすることによって、
自分自身に何かしらの変化がある時にこそ
出てきてる気がする。

だから、
「面倒だけど、嫌ではないんだよな。」
「やりたいけど、面倒くさいだけなんだよな。」
と自分に声をかけて

「ま、やってみるか!」と、軽く考えると
動きやすかった。

ものごとや考えを、
軽くするか、重くするかは、実は
選べることができるんじゃなかろうか?
というのが次に研究課題でもある。
さて、
パンを焼いてみたら、
昔もパンを焼いていたことを思い出した。
毎日焼いていたくらいだから、
手が勝手にやり方を知っていたりした。
ああ、こうするんだった。と
頭が後からついてくる。

出来上がったものは不格好でも、
とても愛おしく、
子供たちに一瞬で食べられてしまったけど、
それもまた嬉しくて、この気持ちは、
買ってきたパンでは味わえないものだった。
めんどくさいって、やらなかったら、
ずっとわからないものだった。
ほかの人の作ったパンを見て、
羨ましくなってたけど、
目に見えたものや、味よりも、
新しい気持ちが湧き出たことがとても貴重な
宝石のように感じた。

何度目かのパン



面倒くさいの後ろには、
自分だけの宝物が隠れていると思う。
だから、また面倒くさいが出てきても、
どうぞウェルカム。
面倒くさい事態が、
そのうち少なくなるような気がしてる。
それはまだ研究中だけどね。

めんどくさいと感じることと
仲直りできたみたいで
嬉しかった話。

nana aani






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