どこまでヒーローの残虐さを許せるか?
先日『ザ・スーサイドスクワッド “極”悪党、集結』を観ていて気になったことがありました。
(『ザ・スーサイドスクワッド1』も『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒』も観ていないので知識不足な点があるかとは思います!)
スーサイド・スクワッドとは、自殺級に危険な極秘任務に挑む特殊部隊。減刑と引き換えに受刑者たちが隊員に選ばれます。
主要キャラはハーレイ・クイン、ブラッドスポート、キングシャーク、ポルカドット・マン、ラットキャッチャー2、ピースメイカー、そして”スーサイド・スクワッド”を率いる軍人のリック・フラッグ。
映画自体は特に好みではありませんでした。同監督の作品ならマーベル映画『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の軽快な音楽に乗せた陽気で愉快な仲間たちの方が好き。
でも一つ面白いなと思った点がありました。それはキャラクターの生い立ちエピソードです。
スーサイド・スクワッドのチームリーダー的存在であるブラッドスポートは父親に殺人兵器として育てられた過去を持ち、ムキムキのピースメーカーも父親に殺人兵器として育てられた過去を持ち、カラフルなキャンディー状の水玉を飛ばすポルカドット・マンは母親のせいで特殊体質になり母親を恨んでいる。
ラットキャッチャー2はネズミを操るラットキャッチャーであった父とホームレス生活をしていた。
主要極悪受刑者のうち3人は親のせいで殺人鬼になってしまい、1人は貧しい生まれだったと紹介されるのが興味深いなと思いました。
環境のせいで犯罪者になってしまったんだよ、根っからの悪人じゃないんだよ、という生い立ちの設定を加えることで悪党と呼ばれる人たちにも同情心を抱かせ、観客の心を離れさせないためのエクスキューズ。
また、悪人という設定でありながらもみんなから好かれるヒーローとして受け入れられるためには、自分のせいではなくて親のせいで殺人兵器になってしまったのだったり、生まれつき貧しい生い立ちだった、と言うのが世間的に最もすんなり受け入れやすい理由づけなのだという制作者の(もしくは原作者の)指向が垣間見えるようで興味深く感じました。
確かに主人公が根っからの極悪人だったり、行動の読めない猟奇的な殺人者や愉快犯の集まりだったらなかなか感情移入できないし、観客はついてこれないかも知れません。面白い物語にはなりそうですが、大衆向け娯楽ヒーロー映画からは外れてしまうかも。
スーサイド・スクワッドのみんなは劇中なにかと仲間を思いやったり、常識的な発言が多く、”極”悪党、集結!というキャッチコピーに期待していたのでちょっと拍子抜けでしたが、悪党なのに優しい、みたいなギャップを与えることが魅力的なキャラクター作りの基本なのでしょう。
それに主人公は、その映画の世界なりの”正義”であることを私たち観客が無意識のうちに求めていからかも知れません。
そこで思い出したのが、この作品の逆の倫理観をいく『96時間』。コテコテのアクション映画で、結構好き。
主人公リーアム・ニーソン演じる元CIA工作員の最強パパ・ブライアンが極悪売春・人身売買組織に拉致された娘を救い出すアクションムービーで、初めて観たとき衝撃を受けました。
ここからややネタバレがあります。
ブライアンは拉致された娘を探し出すためアメリカからパリに着くやいなや、人身売買組織の隠れ家を発見。即席電気椅子で拷問し娘の居場所を聞き出します。
主人公が敵をいたぶって拷問するのもなかなか珍しいなと思ったのですが、ブライアンは容赦しません。悪人から必要な情報を手に入れると、めちゃくちゃ痛そうなやり方で息の根を止めるのです。
ハッとしました。
ヒーローものだと主人公がわざわざ、例え敵が極悪人でも、情報を教えてくれた後にさらに痛めつけて息の根を止めるシーンを写さないと思ったのです。(もしくは映画の尺を伸ばすために、情に絆されたり手加減して敵を逃してしまい、後でもう一つアクションシーンができるのが定石かと思っていました)
今まで見ていたヒーローものの作品では、ヒーローが敵から暴行や拷問を受けるシーンはあっても、ヒーローが敵を殺すシーンは銃で一発パンっと当てるとかさっぱりした殺し方で描かれていて、主人公の残虐さを観客に直視させるシーンってなかったなと、『96時間』の拷問シーンを見て初めて思い至りました。
ヒーローだって敵を倒さないといけないのだから、映画の中でたくさん人を殺します。でもヒーローが悪人に見えてしまってはいけません。だってヒーローだから。ヒーローはいつもクリーンで”正義”でなくては観客に好かれません。例え人を殺す時でも。
でもこれって結構ねじ曲がった危険な倫理観な気がします。
ブライアンはその後も売春・人身売買組織に一切容赦をしません。
なんとも感動したのが旧友であるフランス諜報機関工作員のジャン・クロードの家を訪ねるシーン。ネタバレなしで見てもらいたいので詳細は語れませんが、ここでもブライアンは交渉のため躊躇しません。これっていつもの映画だと敵が使う交渉術じゃないかと驚きました。
ブライアンは娘を助け出すためなら手段を選びません。残虐さを隠さないシンプルな行動原理が潔い。
たった一人で巨大な売春・人身売買組織を相手にするのだから、パパが最愛の娘を取り返すためだったらなりふり構わずこれくらいするよなあと、しみじみヒーロー映画の倫理観、何を見せて何を見せないかについて、考え直させられる作品です。
ちなみに冒頭、拉致される寸前の娘がパパに電話するシーンもブライアンの対応がめちゃくちゃかっこよくて必見です。
悪党たちが観客から嫌われないように細心の注意が払われている『ザ・スーサイド・スクワッド ”極”悪党、集結』、普段目にすることのない主人公の残虐さを容赦無く見せつけてくる『96時間』。比べて観て見ると、これからアクション映画を見るときの主人公の”正義”に対する見方が変わるかも知れません。