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言葉にするから実感できる

子どもたちの成長は、抽象的です。
なんとなくできるようになった。
知らぬまにできてた。
そんなことが多々あります。
それはそれでよいことですが、「知らぬ間に」できるようになると、伸びの実感が湧きにくいものです。

例えば、身長は日頃確実に伸びていますが、その実感は湧きにくい。それは日々の成長が小さく、観測しづらいからです。

では、伸びを感じられるようにするにはどうするかというと、記録が必要です。
身長を定期的に記録することで「◯㎝伸びた!」と伸びを実感できます。
しかも、記録が明確であればあるほどに、小さな伸びでも実感できます。
成長を観測するのに記録は必須な要素ともいえます。

記録の形は様々ありますが、その一つに言語化かあります。成長のチャンスを言語化できれば、自分の現在地を記すことにもなるし、言語化することで思考が整理されることにもつながります。

マガジン「紡ぐ学級通信」では、以前とぅけさんが、振り返りジャーナルについて書かれていました。こうして言葉で振り返ることで教師の一方通行でない、子どもの学びが生まれます。

また、わいぬさんが、「言葉はインフラ」として、学級を言葉で育てる、学級の言葉を育てるということを書かれています。

これらはまさに成長のチャンスを言語化していることに他なりません。

私が成長に必要だと思うことを二つに分けて書きます。

①思考の言語化

これは道徳や教師の語りに対して常に感想を求めることで強化していきます。また、友達と感想を交流したり、教師がよい感想を示したりすることで感想のレベルを底上げします。
数が重要です。

校長先生の話。
行事の感想。
授業の感想。

そうした感想を強化することで、アンテナを高く持つ視点を伝えることができます。

口頭でクラス全体に言わせると短い時間で感想を共有できますが、子どもたちにとって難しいハードルでもあるでしょう。

何が難しいかというと、

まず、感想を述べること。
そして、クラスの前で発言すること。

この2点です。

クラス経営が軌道に乗って、クラス全員の前で発言することが苦ではない状態であり、感想を頭の中にパッとイメージできる状態に育ったクラスでなければ、この時間はかなり苦痛な時間になりかねません。

そのため、まず重要なのは、「文章で感想を書けること」です。
学級の雰囲気作りはここでは述べませんが、もう一つの「感想を述べること」、これを日々鍛えるのは、日々の振り返り、そして何より国語の授業です。

物語文の初発の感想や全校朝会、社会見学などで感想を述べさせた時に
「楽しかった」
「面白い」
「勉強になった」
のような浅い感想に悩まされることはありませんか?
私はよくありました。

しかしこれは子どもたちは悪くありません。
ここまで振り返ったり感想をもったりするための視点を持っていないからです。
視点を持たせるためには、経験させるしかありません。

振り返りや感想を書かせるときに、一番重要なこと。
それは、
「その中身が振り返るほどの密度を持ったものであるかどうか」
ということです。
振り返ることもないのに、振り返れと言われても書けません。
振り返るのに十分な密度を持ったものであれば、特に指定せずとも子どもたちは書き始めます。

例えば、有名な「わたしのいもうと」という絵本の追試をしたとします。
めちゃめちゃ力のある絵本です。
ただ、読んで感想をたずねるだけでもさまざまな反応が出てきます。
ぜひ絵本を読んでみてください

感想がかなり濃くでます。
感想は
「できるだけ長く書く」
「自分の学びを書く」
「思ったこと感じたことを書く」
「これから自分はどうするかを書く」
と指導します。
また、感想の時間も充分にとります。

良い授業が良い感想につながります。
まずはこうした濃厚な授業、濃厚な体験の後に感想を書かせて、「感想とはどんなものか」というイメージをつけさせます。

②思考の限定と価値観の付与

それでもいざ書けと言われて、何を書いていいかわからないという児童が一定数います。
授業なら勉強することが明確でまだ書けたとしても、活動の振り返りなどでは「何を振り返るの?」となってしまうことがあります。
そこで、活動前に視点を示します。

例えば、お楽しみ会。
始まる前にこのように話します。

お楽しみ会は楽しむ心が大事です。
「楽しい」と「楽しむ」には違いがあります。
ゲームをして「楽しい」。
漫才を見て「楽しい」。
遊んで「楽しい」。
これらは、全て受け取る側の「楽しい」です。
与えてもらっているものを「楽しい」と感じる状態です。
対して、「楽しむ」は、自ら楽しもうとする姿勢があります。
ゲームを「楽しむ」。
漫才を見て「楽しむ」。
遊んで「楽しむ」。

「楽しむ」を辞書で引くと「先のことに期待をかけ、そうなることを心待ちにする。」という意味が載っています。
「楽しむ」には自分から期待をかけることが必要なのです。
対して、「楽しい」は自分から動くことはありません。
君たちにはこのお楽しみ会を「楽しむ心」でやってほしい。

そんな話をしたとします。
こうした価値の語りを事前に入れることで、子どもたちは価値の視点を持ってお楽しみ会をします。

最後に感想を書かせれば、「楽しむ心」について自分の考え、行動を書くことができます。
こうして、自分の中の思考を言語化することで、思考の整理をし、さらに大切にしたい価値感を子どもたちに付与することもできます。

こうした手順を踏むことで、子どもたちの感想は次第にどんな場面でも書けるようになっていき、最終的には書かずとも口頭で言語化できるようになっていきます。

文字で提出された感想は学級通信にします。

子どもたちの感想を通信で紹介するのです。
良い手本を見ることで「感想ってこう書くのか」と相互参照することができます。

多様性を認め合う場としても非常に効果的ですし、自分では言語化できなかったけれど共感できる考えに出会える場にもなります。

最近は、タブレットがあるので、クラウドで集めるとコピペをするだけで学級通信になります。(便利な時代ですね)

通信には感想と一緒に、担任のコメントを載せるのもおすすめです。
必ずしも全員にコメントしなくてもいいと思います。
まとめて、「先生はこう思いました。」と書くのもアリです。
何かしらフィードバックがあると、子どもたちも喜び、通信に載せる価値も高まります。
また、先生のコメントがあることで、視点が限定され、子ども達が価値を見つけやすくなるということもあります。
ただ、あまりに教師の色が強すぎると感想が閉鎖的になっていきます。
あくまで、教師の共感や素直な気持ちを伝えることが重要です。

ニッチな文を最後まで読んでいただきありがとうございます。
マガジン「紡ぐ学級通信」では、まほろばメンバーが学級通信という一つの切り口を通して、学級経営や教師の在り方を発信しています。
このnoteが誰かの手助けとなったり、心を燃やす熱源になれば幸いです。

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