短歌歴0.5年の俺が書く短歌入門一歩手前(SPBSミニ歌集制作第2期によせて)
「短歌って、『何を言ってるか、よく分からない』という段階で脱落する人が結構いるんですよね」
これは自分が参加した短歌ワークショップのスタッフさんが言っていた言葉です。
みんなそうなんだな、と思いました。自分も短歌を始めた当初は書いてあることがよくわからず、読んでも「いや、特に感想はありませんが…」「普通のことが書いてあるだけやん」となることがほとんどでした。名画と言われる絵画を見てもピンとこない状態に近い気もします。
また、友達に短歌を始めたことを話してみても「短歌って何だっけ?」と返ってくることが多くありました「5・7・5・7・7のやつだよ〜」というと、「あ〜」と理解してもらえます。自分も、短歌を始めてなかったら「5・7・5・7・7のやつ」とスムーズに言えなかったかもしれません。
上記のワークショップは「短歌を歌集にして本屋さんで売る」というのがコンセプトでした。自分は短歌歴2ヶ月ほどでこのワークショップに参加したので、歌集の出版に加えて、短歌そのものについて知ることが多くありました。短歌の味わい方も前よりは分かるようになって、いまは5・7・5・7・7の文字をみて「こういうことを言ってるんだろうな」とか、情景が浮かんだり、解釈が浮かぶようになりました。
いま、自分を含めて10人の歌集が本屋さんに並んでいます。歌集は書店のお客さんや、各作者の家族・友人の手に渡っていくだろうと思いますが、その中には、かつての自分のように短歌がよくわからない人も一定数いるだろうと思います。
せっかく書いた歌集です。自分たちの短歌を、ふだん短歌を読まない人にも味わってほしい。そう思って、短歌歴半年ほどのビギナーではありますが、短歌入門的な記事を書いてみることにします(とはいえ、まだまだ分かってない部分も多いと思うので「一歩手前」として)。
このnoteについて
前置きが長くなりましたが、このnoteでは①「自分が短歌を読む時に悩んだこと」②「具体的な短歌の解釈例」の2つが書いてあります。
①では自分がよく悩んだ「どういうリズムで読めば良いかわからん」、「何が書いてあるかわからん」、「具体的な解釈のやり方がわからん」の3つに対する、今の自分の回答を書いています。②では具体的な短歌を見ながら、自分が思ったことを書いています。
①と②の順番にはしていますが、好きなところから読んでいただければと思います。
既に短歌を読み、自分と同じような悩みを持っている人は①から、具体的な短歌を見ながら考えたい方は②から、とかどうでしょうか。
なお、②には自分が参加したワークショップの同期生の短歌を拝借しました。気に入った短歌があったら歌集やSNSをチェックしてみてくださいね。
①自分が短歌を読む時に悩んだこと3つ
どういうリズムで読めば良いかわからん
自分は最初、短歌を5・7・5・7・7のリズムで読めば良いのか、普通の文章みたいに読めば良いのか悩みました。最初「せっかくだから5・7・5・7・7で読んだがいいよな」と思っていたのですが、周りの短歌を読み慣れてる人たちが、結構普通の文章みたいに短歌を読み上げていたんです。
どう読もうが個人の自由だし、結局「好きに読めばいい」が正解なんだろうとは思います。ただ、読み方がわからないと迷いながら文字を追ってしまい、内容が頭に入ってこなかったんです。
そして、5・7・5・7・7じゃない短歌って結構あるんですよね。「たまにある」レベルじゃなくて、「結構ある」。最初が6字(つまり6・7・5・7・7)なだけでも、結構困惑します。破調という、めちゃくちゃリズムを崩してる短歌もあるので、5・7・5・7・7をベースに読むことであってるのか?と悩みました。
そこで、短歌を読み慣れてる人に、どういうリズムで短歌を読んでるか聞いてみると「普通の文章として読んでいるけど、読んでいる中で5・7・5・7・7を意識してるんだと思う」と言っていました。だから、ビギナーの自分としてはまずは5・7・5・7・7を意識しながら読んでいくことで良いんだろうなと思っています。定型のリズムが身につくまではそのリズムで読むことでいいのでは、と。
まず5・7・5・7・7で読んでみて、つっかかったらリズムを無視して読んでみる。すると、途中から定型に沿っていたりして、意外と途中からリズムに乗れたりします(6・8・5・7・7の短歌なら、最初の6でリズム読みを諦めて、普通の文章として読んでいくと、途中の「5・7・7」でリズムに乗れます)。
とはいえ、全部5・7・5・7・7で読もう読もうとすると、それはそれで頭を使い、疲れます。慣れもあるとは思いますが、適宜試してみてください。
何が書いてあるかわからん
「短歌を読んでも特に感想がない。」、「要素要素で書いてあることはわかっても、短歌全体を読んだときに何を意図しているかがわからない。」ということも、短歌を読み慣れていない頃はよくありました(今でも結構ありますが。)
これについては、歌人(短歌の作者を「歌人」と呼びます)のことを知ると、少しわかるようになります。プロフィールや、エッセイのような散文があれば先に読んでみることをおすすめします。歌集であれば、あとがきから読むのもいいかもしれません。
また、わからない短歌は読み流すという手もあります。そもそも、短歌って大きなジャンルなんですよね。映画や音楽と同じように、ひとつひとつ作風が違うし、合わない短歌もあると思います。逆に、良いなと思う短歌があったら、その歌人の他の短歌も見てみると良いかもしれません。
どう解釈していいかわからん
「短歌を読んで、思い浮かぶことはあっても、その解釈でいいのかわからん。」みたいなこともあるかと思います。エヴァとか進撃の巨人をみて、考察サイトを漁るみたいな感じ。不安とまでは言わないまでも、「みんなどう思うんだろ」と思ったりしますよね。
それについては、考察サイトを見るのと一緒で、他の人の講評を読んでみるのをおすすめします。
一番手に取りやすいのは雑誌ダ・ヴィンチの「短歌ください」ですかね。歌人 穂村弘さんが応募された短歌の中からいくつかピックアップし、短い講評をつけているコーナーです。雑誌のサブスクでもみれたりするので、自分は美容室のタブレットでよく読んでいます。本にもなってたりするので、そちらを読んでみるのも良いと思います。
一応、この後の②のパートで自分が短歌の講評っぽいことをしてみました。そんなにたいしたことは書いてないのですが、味わい方のサンプルとして読んでいただけますと幸いです。
②短歌の具体的な解釈例
自分が参加したワークショップ「短歌を詠んだら歌集を編もう」同期生の短歌を拝借し、解釈を記載してみました。「短歌ってどう味わったらいいかわかんねぇなあ」という方の参考になれば幸いです(思ったことをそのまま書いたので、内容や量に違いがありますが、お許しください…)。
あ、気に入った短歌があったら歌集やSNSをチェックしてみてくださいね。歌人の人はSNSに自分の短歌をあげてたりするので。
「再婚はしてない」ふーんみどりまめチーズにからめ皿に戻しぬ
元夫婦のやりとりですかね。「ふーん」が良いですよね笑。驚いたけど驚いてないふりをしてるのかな。よりを戻したいと思っているのかも。
再婚というワードもそうですが、みどり豆にチーズをからめるのも、大人って感じがしますよね。大人が動揺を隠して自然に振る舞おうとする、そんな人間味が感じられる一首だと思いました。
花柄とショートカットで駆けていく今はない手をいつか打とうよ
自分自身に向けた優しい決意という感じがしました。「いつか打とうよ」の暖かくて前向きな感じ。
ピカソの言葉「ここで切り捨てた赤は、また別なところに現れる」を思い出しました。創作においては、作品を成立させるために何かの要素を諦めることがあります。ピカソの言葉を「勇気を持って諦めろ」という意味と思っていました。
でも、この短歌の「いつか打とうよ」には諦めみたいな暗いニュアンスがありません。前から来たいと思ってたお店が閉まってた時に言う「またいつか来ようよ」とも意味が違います。今の自分自身であることが、ゆくゆくはなりたい自分に繋がるんだという希望があるなあと思いました。
錠剤を飲めばもれなくハワイ旅行があたるような危ない博打
いや、どんな博打だよw 錠剤を飲んで起こることって、子どもに戻るとか能力が手に入るとか、身体に変化があるのが相場な気がするんですけど、ハワイ旅行が当たるだけ? いや、ハワイ旅行も嬉しいけど。どうやったらこんな短歌思いつくんですか…。
黄泉の地へ繋がっている回線は赤いボックス0番0番
あやしい雰囲気。黄泉の字にある「黄」と赤いボックスの「赤」がその雰囲気をかもし出してるのかも。番号も「0番0番」なんですね。言われてみれば、電話番号の最初に0が2回くるやつってないですよね。スマホで鳴らしてみたいような…、でも鳴らす勇気がありません。
オカピーが雑念として立っていてわたしはついに眠れなかった
オカピーは鹿みたいな動物ですね。「名前が思い出せない動物」という印象があります。なんだっけあの鹿とか馬っぽい動物…と思った時はだいたいオカピーですね。
オカピーって名前で損してますよね。陽キャの同級生みたいな名前してる。ちょっとふざけた名前という感じがします。もちろんオカピー自身は悪くないんですけど。
この短歌では、寝ようとしたときに、ふと頭にオカピーが浮かんで、「なんだっけあの動物…」となったんだと思います。何知らぬ顔で立つオカピー。なかなか名前が思い出せなくて、だんだん腹が立ってきそうです。思い出せたら思い出せたで、オカピーってなんやねんとなります。結局どういう動物なのかわかりません。なんなんでしょうね、オカピー。考えてもしょうがありません。いま、お昼にこの文章を書いてるのですが、寝る前には忘れたいと思います。
母なのにとか母だからとか決めつけず私のまま産む矢島助産院
言うまでもないことかもしれませんが、出産ってすごい出来事ですよね。自分の中から人が出てくるんですよ。自分も、子どもを作ろうと決めたとき、避妊を辞めるとき、妻が妊娠してるときに色んなことが頭に浮かび、考えると思います。
この短歌を読んで、最初は「出産について考え抜いた先にある決意」のことを言っていると思いました。産むのは私だ、だから意義とかはもう関係ない、「私」で産もう。みたいな決意。ただ、出産って「スイカを鼻から出すような痛み」と言われたりもします。産んでる最中は、何かを考えてる暇なんてないんじゃないか。とにかく、オラァー!と思って、気づいたら産まれてた。それを振り返って「私のまま産む」と表現したのかなとも思いました。
たくさんの水が網戸に入り込み何百回も私を映す
雨粒一つ一つに自分が映ってる様子ですかね。「何百回も映す」という言葉から、今雨戸にある雨粒ひとつひとつに自分が映っている場面というよりは、雨粒が雨戸に入っては私を映し、雨戸に入っては私を映し…、という映像的な場面をイメージしました。雨に私が映ってるんじゃなくて、雨が私を映してくる。なんか、ホラー映画にあるような、ガラスにいきなり手形がババババっと映るみたいですね。
秋の日に解体されゆく観覧車ぽとりぽとりと半月になる
観覧車が解体される様子が書かれていますね。「秋の日」と「ぽとりぽとり」から、枯れ葉のように、人の入るボックス1つ1つが外されていくイメージが浮かびました。半月になった観覧車は回れませんね。
共闘せよ 共闘せよ 女性たちにアップルティーを振る舞う仕事
破調〜。メーデー!メーデー!みたいな雰囲気ありますね。短歌ってこういうのもありなんだなあ。
これ、一瞬お茶汲みをしてる女性の映像が浮かんだんですが、女性にアップルティーを振る舞うので、そうじゃないですよね。アフタヌーンティー的なお店で働く女性たちの掛け声でしょうか。大奥みたいな、女性の世界が浮かびました。あまり解像度の高いイメージは浮かんでないですが、女の世界は怖いというので、それはそれで幸せなことなのかもしれません。
おわり
おわりです。この記事を読んだ人が短歌を見た時に、頭に浮かぶことが一つでも増えてたら嬉しいです。
あ、最後に自分の短歌と歌集も紹介させてください。
何か思ったことがあればコメントやSNSでぜひ教えてくださいね。