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適応障害で4ヶ月休職して職場復帰した話_①休職を決意するまで

とあるサービス業界に勤める私が適応障害となり、休職してから、新たな部署へ無事に異動・復職するまでの一連の流れを書きたいと思います。

私自身が、休職前や休職中、他の方の体験談を読んで安心したり励まされたりする経験をしたため、どなたかの参考になればと思い書かせていただきます。私と似た状況にある方や、ご家族・ご友人が同じような状況にある方の参考になれば幸いです。

長くなりますので記事は複数に分割いたします。本記事では、休職を決意するまでの流れについてお話しさせてください。

1. 仕事に集中出来なくなったけど誤魔化して頑張る

あとから振り返ると、休職すべきサインが出始めたのは、実際に休職をする一年ほど前のことでした。少しずつ仕事に向かう気力が消えていたのだと思いますが、ある日、パソコンに向かうことがとてもつらいと感じるようになったのです。

当時は在宅勤務が週の殆どを占めていました。通勤が無くなったことはありがたかったのですが、その分だとばかりに朝から晩まで毎日会議で埋め尽くされ、個人作業を進める時間が取りにくい状況になっていました。

ちょうど昇格のあった時期ということもあり、業務の難易度もあがったばかり。業務負荷調整を相談するにも、上司の機嫌が悪いことが多く話しにくいうえ、そもそも上司自身が忙しすぎて中々個人的な相談をする時間が取れない。これに加え…自分自身で書くのはお恥ずかしい話なのですか、私自身への会社からの評価や期待値が高く、私が「これ以上できません、体調が悪くなります」と話しても、「土日など少し休めば、あなたならすぐまたできるようになるよ」と返されてしまい、真剣に取り合ってもらえなかったのです。

部署全体に「難しい仕事を沢山やるのは当たり前」という雰囲気があり、私以外にも業務負荷を理由に転職していく人が多い状況でした。それでも会社全体を見ると人間関係も待遇も悪くなく、なんとか耐えていたのですが、「これは長く続けることはできない仕事だ。いつかキャリアを大きく変更する必要がある」と考えるようになりました。

2. 信頼していた上司にとどめを刺され休職を決意する

当時私が行っていた仕事は、専門性のため、すぐに誰かと代われるようなような仕事ではありませんでした。私が休みたいと言ったら、人繰りが大変なことになるということは目に見えていました。だから無理してでも働き続けていたのです。

その一方で、自分自身の健康状態に限界が来ていることも理解していました。元々メンタルヘルスに興味があった私は、精神の病に関する情報を漫画やYouTube、書籍などで日ごろから集めており、そのような情報からすると、自分は休むべきラインをとうに超えていることがわかっていました。

そこである日、改めて当時の上司と話し合いすることを決断します。できるだけ会社に迷惑をかけずに休むにはどうしたらよいか、話し合いたいと考えたからです。この時点で私は、通常の半分程度しか思考力・集中力を保てておらず、それを上司に伝えたうえで話し合いに臨みました。

その結果は散々なものでした。休職したい旨を伝えても、「少し有給をとって休めば働けるのではないか」と返されてしまい、それでも尚説明を続けていると、最終的に人格否定のような言葉をかけられてしまいました。信頼していた上司だっただけに残念でならず、その言葉がとどめを刺す形で、私は休職を決意することになりました。「会社にできるだけ迷惑がかからない形」を取る体力も気力も、その話し合いで無くなってしまいました。もう少し違う話し合いができていたらよかったのになと今でも思います。


このような流れで、私は休職を決意しました。この時点では、休職に関して会社側が設けている制度などについては何も知らず、ただ自分を守らなければいけないという気持ちだけで動いていました。

次回の記事では、休職の手続き~休職直後の話を書きたいと思います。


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