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勝手に1日1推し 217日目 「みどりいせき」
「みどりいせき」大田ステファニー歓人 小説
このままじゃ不登校んなるなぁと思いながら、僕は小学生の時にバッテリーを組んでた一個下の春と再会した。
そしたら一瞬にして、僕は怪しい闇バイトに巻き込まれ始めた……。
でも、見たり聞いたりした世界が全てじゃなくって、その裏には、というか普通の人が合わせるピントの外側にはまったく知らない世界がぼやけて広がってた──。
三島由紀夫賞、すばる文学大賞受賞の際の、選評が全てを物語ってた!このお2方の選評なんだもん。信頼以外ない。
私の中にある「小説」のイメージや定義を覆してくれた
この青春小説の主役は、語り手でも登場人物でもなく生成されるバイブスそ
のもの
気付いたら、読み終わってました。気付いたら、飲み込まれてて、一緒に流れ出してて漂流してて、漂着したって感じでした。
受賞会見にてものすごい強烈なインパクトを放っていたステファニー先生。作品も同様、強烈なインパクトを放ってました!
文章がリリックっぽくて、ノリと勢いがあるの。まあ、それがバイブスが語り手って感じる理由なんだと思うんですよね。で、読んでると、なんか思ってたんと違う、ってなって、でもそもそも思ってたんと違うって何?ってなる。そこが小説のイメージや定義から解放されてるってことなんだろうなあと。もちろん、突如、活字列界隈にあるまじきトリップかました視覚情報がぶっこまれてくるんですもん、そりゃあ、もう、自由だ!ってなりますよ!!!おもろ。
てか、作中でみんながトリップしまくってて、そのノリでずんずん紡がれていくから、こっちも浮遊感感じまくっちゃって、そしたらベンジーが肺に映ってトリップしちゃうのよ。椎名林檎様ですのよ。つー訳で、知らず知らずに捕らわれちゃってるの、世界観に。自分も取り込まれちゃってるの、物語に。故に気づいたら読み終わってるっていうね。おもろ。
直球で言っちゃうけど、ドラッグの売人の高校生たちの日常のお話です。いわゆる、悪い子、とか、かわいそうな子とか、理由ありきの子たちとして描かれていないから、暗くもないし、悲壮感もまーったくないの。なんなら部活か、ってくらい健全(?)に薬を売り歩いているんです。それゆえ(?)青春小説だって胸を張って堂々と言えます。
仲間を大切にし、何をするにも一緒に楽しむ。音楽、映画、ゲームで駄弁り、もてあます時間を謳歌。なかなかに知的な会話もいいんだよね。裏社会ですから、当然暴力なんかもね、ありますよ。だからって、ひるんだりしない。スタイルは曲げない。とんでもなく無茶に無謀に横暴に好き勝手しまくってる。
社会的に道徳的にいいとか悪いとかじゃない。ただ、彼らはそうやって過ごしてるってだけ。それを描いてるってだけ。否定も肯定も上も下もない心地良さがあります。
こんなの、見たことない!彼らが持っているかもしれない、葛藤や内実が描かれていないのがいいなあ。ただひたすら、彼らがそこで生きている、ってパワーがものすんごい。とっくに高校生じゃないし、ドラッグも知らんけど、”生きてる”で繋がっている当事者性が半端ない!
てか、少年野球でバッテリーを組んでいた2人が再び出会い、売人コンビに落ち着いたのとか、シュール過ぎじゃない?本来、健全→不健全と考えがちだけれど、そこが二項対立にはなってない。2人の関係性はバッテリー組んでた時の、なんかそのまんまなんだよねえ。ここが本当に不思議。なんでこんな風に感じるんだろ。ラストの「みどりいせき」の章なんて、バッテリーとしか言えんやん・・・良き。
やっぱり一般人からすると、ドラッグの売人なんてフィクションだって遠い世界に感じちゃうんだけれど、実際には、確かに高校生の売人だっているんだよな、って”井の頭公園”とか”武蔵野プレイス”とか具体名が出てくるから、逐一ハッってなって、現実世界に引き戻されるっていうか、気付いていないすぐ隣の世界の話なんだって思えたりするの。そういう、強烈にではないんだけれど、ふとした時に起こる認知の揺れも興味深く、作品のリアリティに繋がっているんだろうなって思いました。
ほんと、面白かったなあ。小説も多様化したもんだ。
図らずも一気読みしちゃうと思われます!ぜひ!!!
ということで、推します。