"その一回" の選択が、未来のふたりをつくるから
「〇〇さん、いま離婚の危機なんだって。」
友人と話している時、ふとそんな話題が飛び出した。共通の知り合いであるその人は、「子供をつくるかどうか」という問題で相手と意見がすれ違い、平行線になり、とうとうその関係性すら解消しようとしているという。
他人の話とはいえ、それを聞いた瞬間すっと血の気が引いた。
ふたりはもう結婚してからだいぶ長い年数が経っているはずなのに、どうしてそんな大事なことを、もっと早くに話しておかなかったのだろう。
年齢的にも限界というものはある。その上このタイミングで別れまで切り出されたりしたら、たまったものではない。愛する人と、子供の両方を同時に失うなんて。
もし自分だったら……と想像すると、あまりにも恐ろしく、目の前が真っ暗になった。
しばらくその話に憤りを感じながらも震えていたわたしは、帰宅してようやく冷静になり、あることに気づいた。
待てよ。この話、他人事じゃないかもしれない……。
だって、自分が一年前に恋人と別れたのは、まさに同じような理由なのだから。
***
わたしが彼と別れることを決めたいちばんの理由は、「話し合う」ということができなくなってしまったからだった。
きっかけは、小さなすれ違いだった。
お互い実家暮らしだったわたしたちは、そこまでお金もなく、デートといえばだいたい日帰り。公共の場で極端に人目を気にしていた彼は、手を繋ぐことにも抵抗があるようだった。
付き合って最初の頃は、スキンシップの少なさに「寂しい」とか、帰り際に「もう少し一緒にいたい」とか、それなりには伝えていたと思う。
けれど返ってくるのは「だって、恥ずかしいから」や「今はお金がないから、仕方ない」という言葉。
最初は、たったこれだけのことだった。
けれど、しばらくそんなやり取りが続いたことで、わたしは次第に自分自身にも「仕方ないんだ」「こういうものなんだ」と言い聞かせて、心の声を奥へ、奥へと仕舞い込むようになった。
彼のことはとても尊敬していたし、一緒にいると居心地がよかった。何より、わたしのことを大切にしてくれている。自分がわがままさえ言わなければ、欲を出さなければ、穏やかな時間はきっと続く。
当時は、本心からそう思っていた。お互い感情的に言い合いをするタイプでもなく、大きな喧嘩もしたことはなかったから、一緒にいた4年間はわりと平和に過ごしていた。
けれど、どんなに小さくても「言葉を飲み込む」ことを続けていると、いざとなった時、ほんとうに大事な言葉が口から出てこない。
自分でも、この気持ちが「言ったほうがいいこと」なのか「言わなくてもいいこと」なのか、判別がつかなくなってしまうのだ。
すると、「我慢すること」「諦めること」が当たり前になっていき、ふたりを取り巻く空気にもそれが充満していった。
性格や趣味が似ていたこともあり、なんとなく分かったような会話をすることで関係が続いてきた部分もあるのだろう。
お互いがいちばん大事なところに触れないようにしながら、「表面上、仲の良いふたり」を必死に演じていたのかもしれない。
それが積もりに積もった結果、わたしは彼に期待するということがなくなり、「どうしてわたしは、この人と一緒にいるんだろう?」と純粋な疑問がふつふつと湧いてきて、最後はやや一方的に、別れを切り出すことになってしまった。
いま当時のことを振り返ってみると、「もっと、勇気を出して彼に踏み込めば、変わったのかな」「もっと、伝える努力ができなかったのかな」と、一方的に期待をしなくなって別れを告げた身勝手な自分に、罪悪感を覚える。
だけど、その時はできなかったのだ。
彼の本心を知って、傷つくのが怖かったから。
伝えた先で、お互いに理解し合えないことが怖かったから。
そんな臆病なわたしが「人と深く対話できるようになった」のは、いまの恋人に出会ってからだった。
付き合いたての頃は、次の日早く起きないといけないのに、深夜の2時まで電話を続けて「実はまだ、お風呂入ってないんだよね」すら言えず、寝不足になることが何度かあった。
はじめての夏、旅行先の宿で、寒さに弱い彼に合わせて「暑いからエアコンをつけっぱなしで寝たい」と言えず、暑さにうなされて寝不足になった(この経験のせいか、今ではむしろ自分の方が強く主張している気がする。)
そんな重度の「思っていることを、相手に伝えられない病」を患っていたわたしは、自分とは真逆の「思ったことを、なんでも言語化して伝える力」に長けた彼と過ごしているうちに、少しずつ変わりはじめた。
彼は、いいことも悪いことも、恥ずかしいことも言いづらいことも、いつもまっすぐに伝えてくれた。
たとえそれが、ふたりの関係性を一時的に危うくするようなことだとしても、臆せずに、伝えて続けてくれた。
同時に、わたしの話をいつも辛抱強く聴こうとしてくれたこともありがたかった。
わたしが言葉に詰まってしまう時は静かに待っていてくれたり、「いま、どういう気持ち?」と問いかけてくれたりして、わたしの心の霧が晴れるまで、時間をかけて話を聴いてくれた。
だからわたしも少しずつ、言いづらいけれど知ってほしい自分の感情を、自分から彼に伝えられるようになった。
そしてこの1年間は、理想の結婚・出産のタイミング、家庭と仕事のバランス、お金の遣い方、自分の性格や過去のトラウマ、未来の計画などなど……ほんとうに色々なことを話し合ってきた。
これらの多くは一筋縄ではいかないものばかりで、ある時は1ヶ月間くらい平行線の状態が続き、「これは、どうしたら解決できるんだろうね……」と、ふたりで途方に暮れたこともあった。
けれど、そういう時に彼はいつも「伝えてくれてありがとう」とまず感謝を伝えてくれたし、「そういう感情があることを、お互いに知るのは大事だよね」と、ふたりの関係性を前向きに考えてくれていた。
だから、毎回の話し合いで体力を消耗することはあっても、決して諦めたり、ひとりで悲しんだりすることはなかった。
たまに「世間の恋人同士って、みんなこんなに話し合ってるものなのかな……?」と、ふたりで疑問に思う瞬間もある。
だけど、お互いに「相手に自分の気持ちをわかってほしい」という気持ちが強すぎるわたしたちは、他の恋人たちがどうであれ、伝えずにはいられないのだ。
「とにかく思ったことは相手に伝えて、お互いに聴き合う」ということを1年間繰り返してきた結果、わたしは自分でも驚くくらい、自分の心の奥深くにある感情を、相手に伝えることができるようになっていた。
離婚の危機が迫っているという知人の話や、元恋人との関係性、この1年で自分に起きた変化を並べてみた時、人との関係性は、一回、一回の「伝え合い」の積み重ねでできているんだなあと思った。
たとえば、話を聞いていて小さな違和感があった時「いまの話、もやっとした」と正直に相手に伝えられるかどうか。
たとえば、相手が自分との約束よりも他のことを優先したいと言った時「それは少し寂しい」と素直に言えるかどうか。
「気まずくなったり、相手を傷つけることになるなら、言わないでおこう」と遠慮したり、「自分のほうが相手のことを好きみたいで悔しいから、言いたくない…」とプライドが邪魔をしたり。
今までのわたしなら、そういう感情のほうが強く前に出てきてしまって、思っていても伝えられないことのほうが多かった。
だけど最近は、日々小さなことでも「伝え合い」をしているからこそ、変なプライドや恥ずかしさ、後ろめたさみたいなものをそこまで感じることなく、そのまま伝えることができているのだろうなと思う。
「伝え合う」って、ほんとうに体力の要る作業だ。
伝えることによって、お互いが傷ついてどうしようもなくなることもあるし、「言わないほうがよかったんじゃないか」と後悔する夜もある。解決の糸口が見えず、気が遠くなることも何度もあった。
だけど、だからこそ、この大変な作業にふたりで向き合い続けることには、大きな意味があるんだなあと思う。
価値観がこんなに違っても、何度お互い傷つけ合っても、それでも変わらず一緒に生きていたいと思える人なんて、そう簡単には出会えない。
「伝え合う」ことを繰り返すたび、お互いそれを実感し、相手の存在の尊さを再確認できることを考えると、大変だけれど避けて通りたくないな、と、今では思える。
一度「伝え合う」ことができなくなってしまうと、どんどん言葉を飲み込むほうへ進んでしまう。そのほうが、楽だから。
でも、それを軌道修正できるのも次の「一回」だ。
継続することは簡単なことじゃないけれど、その一回を、わたしはずっと意思を持って積み重ねていきたい。
たまに躊躇することはあっても、また「諦める」方向に、引っ張られないように。
一回の積み重ねが、未来のふたりをつくるなら。
諦めずに、怖がらずに、伝え続けたい。
何より、わたしも彼にそう思ってもらえるような存在でありたい。
その先にどんなふたりが待っているのか、今からとても楽しみにしている。
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