26歳、はじめて「自信」が芽生えた私とこれからの自信とのつきあい方



26年間、わたしはずっと自分に自信がなかった。



なんてことを言ったら、わたしのことを知っている人は「またまたそんな冗談を…」と思うかもしれない。


たしかにわたしは人前で弱音や愚痴を言わないし、緊張していないふりが得意だし、どんなに疲れていても苦しいことがあっても大体は笑顔で平気な素振りをしているから、自信がないようには見えないのかもしれない。


あまり親しくない人には「そつなくこなすタイプだよね」とか「いつも楽しそうだよね」と言われることも多い。


だけど、それらは全部「周りが期待している自分でいないと、必要とされなくなるんじゃないか」という恐怖心の裏返しであって、自信があるからそうしているわけじゃない。むしろ、自信がないからそうなっているのだ。




「自信がない」ということを自覚したのはわりと最近のことで、今まではそれを意識することもほとんどなかったし、日常生活には何の問題もなかった。


だけど社会人になってからの4年間、どんなに激務で身体を壊しても、どんなにきついフィードバックを受けて深く傷ついても、水面ギリギリのところで「価値のある自分」でいるために頑張ってきたことを自覚したとき、「あ、わたしって自信がないんだ」と初めて気づいた。


今まで、自分の好きな自分でいたいから頑張っているのだと思っていたけれど、本当は「他人の期待する自分でいなきゃいけない」という呪縛に突き動かされているのかもしれない、と。



***



前置きが長くなってしまったけれど、この1年間の最大のテーマだった「自信」との向き合い方について、27歳になった今日、感じていることを書いてみようと思った。


わたしと同じように「自信がない」ことに悩んでいる誰かの心が、少しでも軽くなったらいいなあと願いながら。

1. はじめて "自信" を手にした理由。


そもそもわたしは、どうして自信を持つことができたのか?その答えは単純で、「他者の評価を得た(社内で表彰された)」からだった。


「なんだ、結局他人に認められて自信がついたのか……」と呆れられてしまうかもしれない。だけどこの小さな成功体験は、わたしにとっては自信を持つためのファーストステップとして必要だったと思っている。


他者から評価されてはじめて、「わたしはこの組織にいていいんだ」と思えたし、「自分もやればできるんだ」と安心できて、ようやく「価値を生み出し続けていないと、必要とされなくなるかも」という恐怖から解放された。


そしてその後も、苦手なことに躓いたり、できないことに目を向けて落ち込みそうになっても、「今できていないだけで、やればできるようになるからきっと大丈夫」と落ち着いて考えられるようになった。




じゃあ、どうしてわたしは「他者からの評価」を得るまで、2年間頑張り続けることができたのか?


その理由は、たぶんこの2つにあったと思う。

①信じ続けてくれる人がいた

「きっと大丈夫、あなたならできるよ。」そう言い続けてくれた人がそばにいたから、心が折れそうになった時も、あと少しだけ続けてみようかな、と思えた。

自分を信じるのは難しかったけれど、そう言ってくれる人のことは信じられたから、諦めずに行動し続けることができたんだなあと思う。

②良いところや、強みを伝えてくれる人がいた

苦手な部分に目を向けがちなわたしでも、「ここはできている」「これは自分の強みなんだ」と思えるようになったことで、自分にはできることもあるから大丈夫、と自分を受け入れられるように。

「自分には価値がないんだ…」と落ち込むことが、少しずつ減っていった。


「なんだ、これもまた外的な要因じゃないか……」と思う人もいるかもしれない。だけど、自分でコントロールしていたことも少しはある。


それは、この逆の行動をとる傾向がある人と「距離を置く」「できる限り、話を間に受けないようにする」こと。


どれだけ評価したり信じてくれたりする人が身近にいても、ネガティブな引力が強くなってしまうと、感情はついそちらに流されてしまう。


そうならないための環境づくりや人間関係構築は、自分でも意識的にやっておいてよかったなあと思っている。

2. 自信って、一度手にしたらずっとそこにあるもの…じゃ、なかった。


「わたしにも自信が芽生えた!」と、はじめての体験に浮かれていたのもつかの間、その自信は1ヶ月と持たなかった。


評価されてもできないことはできないし、問題は次から次へと出てくるし、「やっぱり自分は何も変わってないんだな…」と、また自信喪失のループに入りそうになる。


だけどそんな自分に気づいた時、「優秀なのに、自信がない人」や「周りから評価されているのに、自己肯定感が低い人」の気持ちが少しわかったような気がした。



自信ってもしかすると、一度芽生えたからといって、ずっと自分の中にあるものじゃないのかもしれない…


ちゃんと大事にしてあげないと、萎んで枯れていってしまうのかもしれない…



「そんなの、当たり前じゃないの?」と言われてしまうかもしれないけれど、わたしは今回、人生ではじめて自信というものを手にして、それが長くは続かないことを実感して、はじめてそのことに気づいた。

3. 芽生えた自信を育てるために、できること。


最近思うのは、立場上、上になればなるほど人に褒められたり評価されたりする機会は減るし、むしろ部下や後輩に自信を与える側になるから、「自分の自信は、自分で育てないといけないんだな」ということ。


だったら、これを機に自分でもできそうな「自信の育て方」を、考えてみようかなと思った。

①自分で小さな成功をみつける

いちばんいいのは、自分で自分のことを褒めてあげること。そして、小さくてもいいから「成功」や「できたこと」をみつけて、昨日の自分との差分を評価してあげること、じゃないだろうか。(わたしはまだまだこれができないから、修行が必要なのだけど…)

②無条件に褒めてくれる人、肯定してくれる人と定期的に話す

とはいえ、やっぱり誰かに褒められたい時、慰めてほしい時は何歳になってもある。(あるよね…?)そんな時は、ポジティブな人や、褒めてくれる人と会って話して元気をもらいたい。

そういう人と一緒にいると、瞬く間に自己肯定感が上がるし、「自分はまだできるかもしれない!」と思える。(わたしが単純なだけかもしれない…?)

③知らない場所に行く・はじめましての人と話す

自分自身や、普段一緒に過ごしている人にとっては当たり前になってしまっていることも、場所や人を変えてみると「そんなことができるの、すごいね」「その考え方、面白いね」と言われることがある。

まっさらな状態の自分に対して投げかけられる言葉は、改めて自分のいいところや魅力を知るきっかけになるし、純粋に嬉しい。

(だからわたしは旅が好きで、自分を見失ったときは、自分のことを知っている人が誰もいない場所に行くようにしている。)

④そもそも考えないようにするために、好きなものに触れる時間をつくる

得意不得意とか、勝ち負けとか、成功失敗とかを考えなくていい、自分だけの時間をつくる。ひとりで好きなものに浸っていると、自信とか評価とか、意外とどうでもよくなったりするのだ。

今の自分はわりと幸せだから、自信なんてなくてもいいのかも…と思えるくらい好きなものを、心の引き出しに、たくさん用意しておきたい。

4. とはいえ…自信って、そもそも必要なの?


と、ここまで自信についてこの1年間感じてきたこと、行動してきたことを書いてきたのだけど、最後にそれをひっくり返すようなことを言いたい。




自信って、そもそも必要なのだろうか…?




わたしはずっと自信がなかった(特に、他人から無条件で自分を受け入れられることに対して自信がなかった)から、ひたすら評価を得るために頑張ってきた。


だけど評価を得た今、そこに関してはたしかに自信を持てたけれど、劇的に幸福度が上がったわけではないし、自信はなくても欲だけはあるから、他者評価をあまり求めなくなったからと言って、頑張り続けることはたぶんこれからもやめない


だったら、そもそも「自信があるか、ないか」なんて考えなくても、欲しいものやなりたい自分、やりたいことに忠実に努力をし続けた方が、よっぽど健全なのでは…?と思った。


もちろんこれは「努力して他者からの評価を得る」という経験をした今だからこそ、言えることかもしれない。同じことを1年前の自分に伝えたとしても、わたしはそこを目指して努力することを諦めなかっただろうから。


だけどこれからは、「他者からの期待に応える」という執着を捨てて、自分の心の向かう方向に、自分の身体を運んでいけるようなしなやかさを持ち続けていたいなあと思っている。

5. 今の環境で、なかなか自信が持てないあなたへ。


最後に、自信がなかった少し前までのわたしのように「今の環境で、なかなか自信が持てない」「評価されていないことが苦しい」と感じているあなたへ、伝えたいことを書きます。


もし、今の環境の外に出て、「ここなら自信が持てそう」「ここにいると居心地がいいな」と感じる場所があるのなら、思い切ってそこに身を置いてみる、というのもありだと思う。


移ってみたものの、「ちょっと違ったかも…」と思ったら、戻ってもいいし、また別のところを探しに行ってもいい。




だけどその前に、「本当に、今いる場所では自信が持てないのか?」は、立ち止まって考えてみてもいいかもしれない。


あなたが「自信がない」と思っていることを、周りの人は知らないかもしれないし、「評価されていない」と感じているのは自分だけで、実は知らないところで称賛されている可能性だってある。


(もちろん、本人に伝わっていなかったら意味はないのだけれど)


ただここで伝えたいのは、今いる場所でも得られたかもしれないものを、そうとは知らずに自分ひとりで見切りをつけて一方的に去ってしまうことで、寂しい想いをする人がいるかもしれない、ということ。




……と、いうのは完全に「見送る側」の感情が入った考えなのだけど……




でも。


「自信を与えてもらう側」と「自信を与える側」のどちらも経験した今だからこそ、「自分の感情を理解してもらうための働きかけ」ができるようになったら、もう少し生きやすくなりそうだな、とは思っている。


自信って、案外「ちゃんと伝えられているかどうか」という、シンプルな問題だったりするから。


わたしも身近な人に伝えられるようになりたいし、伝えてもらえるような人でありたい。(って、結局最後は自分へのメッセージになってしまった……。)



***



このテーマは、生きている限り(少なくともわたしのような人間にとっては) ずっと付きまとう問題なんだろうなあと思う。


「わたしって天才なのかもしれない!」と駆け出したくなる日も、「わたしには価値なんてないんだ…」とどん底に落ちる日も、たぶんこれから幾度となくやってくる。


それはきっと、自分以外にも同じことが言えるのだろう。身近な人も同じように、知らないところで自信を持ったり、なくしたりしているかもしれない。



自信を持つ、持ってもらう。それってとても難しい。



でも、だからこそ、そのことだけは忘れずにいたいと思う。


そしてこれからもずっと、「自信とのつきあい方」を、あなたと一緒に考え続けていきたい。



この記事が参加している募集

いただいたサポートは、もっと色々な感情に出会うための、本や旅に使わせていただきます *