"ふたりで人生をつくる"って、難しいから愛おしい
恋人に「今年中に、京都に住みたいって言ったらどう思う?」と聞かれてから、ずっとこれからの人生について考えていた。
これは、彼と一緒にはじめて京都を訪れ、大好きな鴨川でのんびりとした朝を過ごしていた時、わたしの耳に飛び込んできた言葉だった。
その時わたしは、やわらかな朝の日差しに目を細めながら、きらきらと輝く水面をぼんやり見つめていた。穏やかな時間に、ぴりっとした何かが走ったような感覚。
川沿いに置かれた正方形のベンチに座って同じように水面を眺めていた彼は、今までに見たことのないような強いまなざしで、こちらを見つめていた。
***
5月1週目の連休を、わたしたちは京都で過ごすことにした。
毎年京都にひとりで訪れていたわたしの話を聞いているうちに、「いつか移住するとしたら、京都もいいね」と言ってくれて、ふたりにとって京都は将来住む場所の第一候補になっていた。
そんな土地で暮らす日々を想像するために、一度ふたりで京都に行ってみよう。そんな話になって、わたしたちは京都で数日を過ごした。
実際に行ってみると、彼は鴨川を見るたび嬉しそうにはしゃぎ、祇園四条の小道をご機嫌な表情で歩き、出町柳の鴨川デルタに何度も行きたがった。
わたしが好きな一乗寺を案内したり、きっと彼が好きだろうなと思ってプランに組み込んだ下鴨神社や哲学の道を歩いている時、彼はいつもより幸せそうだった。
そんな彼を見て、わたしは自分が好きな場所を好きだと思ってくれることに、素直に嬉しいなあと思っていた。
……それなのに。
「今年中に、京都に住みたいって言ったらどう思う?」と聞かれたわたしは、彼に対して曖昧な返事をすることしかできなかった。
「楽しそうだな、とは思う。わたしもいつかは住みたいと思ってたし、今でも京都は大好きな場所だし。……でも、現実的に考えると、どうしてもキャリアのこととか、不安なことばかり浮かんできてしまう、かも。」
できる限り彼を傷つけないような言葉を探しながら、そう答えるのが精一杯だった。
自分が今まで本当に京都に住みたいと思っていたのか、本気でいつか住むつもりがあったのか、自分の気持ちがわからなくなってしまったのだ。
彼に正直にそのことを伝えると、
「突然ごめん。そうだよね。でも、ここで鴨川を眺めていて、今すぐここに住みたいって、強く思ったんだ。それだけは、伝えたくて。俺からは、今そう感じていることを伝えたかっただけだから、今後ななみがどうしたいかは、ななみ自身で考えてほしい。」
という返事が返ってきた。
率直に想いを伝えてくれたのは、嬉しかった。
配慮してくれていることも、ありがたかった。
だけど、わたしはますます自分の気持ちが分からなくなった。それどころか、急に自分の目の前に壁が立ちはだかって、ひとりでそこに取り残されたような心細い気持ちになった。
わたしはこれから、どうやって生きていきたいんだろう……?
突然現れた人生の難題に、戸惑いと不安で、押しつぶされそうになっていた。
***
一年前。26歳になったわたしは「残りの20代は、自分だけのために時間やお金を使う」「これからは、仕事と勉強と、自分に力をつけることに集中する」と決めて、4年間を共に過ごした恋人と別れた。
結婚は28歳くらいになったら考えようかなあと先延ばしにしていたし、誰かひとりの人と人生を共にする、という決断は、わたしの性格上とても難しいことだとも思っていた。
自由になって、「さあこれからどうしようか…」と考えていたときに、いまの恋人と出会った。
そこからはドラマのように目まぐるしく日々が進んでいって、ふと気づいたら、将来のことを一緒に考えるような関係性になっていた。
同棲や結婚、出産、家族をつくること。わたしのような人間にとって、いちばん縁遠いことだと思っていたことが、彼と一緒に過ごしているうちに、段々と現実味を帯びて、わたしの人生に自然と溶け込んでいった。
誰かと一緒に生きることも、子供を生んで自分たちの手で育てていくことも、最初はものすごく不安だったし、自信もなかった。
そのことを彼に伝えながら、時にはお互いに傷つきながらも話し合い、まっすぐに向き合って進んできた。
一年前までは半透明だった未来が少しずつ透過していって、前向きに未来を楽しみにすることができるようになってきていた。そんな時だった。
彼は自分の好きなものややりたいことを見つけて、それを叶えるために人生を前に進めようとしている。それに対して、わたしはまだ、自分がこれから何をしたいのか、どうやって生きていきたいのか、何も分かっていない。
いま住んでいる家のことや仕事のこと、これからこうやって好きな場所に住めるように努力したい、と具体的な計画を語る彼の横顔を見ているうちに、わたしはどんどん不安になった。
こんなにも生き生きした彼の笑顔は、久しぶりに見る。彼の人生は応援したいし、幸せになってほしいとも思う。
だけど今のわたしには、そんな彼に「自分はこういうキャリアを描いていきたいから、こうしたい」と主張する自信もなければ、「あなたに付いて行くよ」とか「わたしは東京で待ってるね」とか、自分のスタンスを今ここで決めて伝える度胸もなかった。
少し先の未来、輪郭が見えはじめていたレールが、急に粉々になって、パラパラと消えてゆくように見えた。
旅から帰ってきて、わたしはこの漠然とした不安がどこからくるのかを考えてみた。
その結果わかったのは、「この1年間、いかに彼の存在ありきで生きていたか」ということだった。
自由になりたい、自分のために時間を使いたいと思って前の恋人と別れたはずなのに、気づくとわたしの人生で、彼という存在はいつも大事な判断基準になっていたし、思い描く未来には、あまりにも自然に彼がいた。
彼に出会ってから、新しい人との出会いを積極的に欲することもなくなったし、キャリアのために仕事と勉強に全てを費やしたいと思う気持ちも次第に薄れていった。
そんなわたしは、今回彼に「自分はこうしたいけど、ななみは自分でどうしたいか考えてほしい」と言われたことに、寂しさと不安を感じているのだと気づいた。
そして何より、そんな感情を抱いている自分自身に、わたしは戸惑っていた。
ずっと自分の人生、特に仕事を中心に考えてきたわたしが、「自分で自分の人生を考えて」と言われたことに対して、嬉しさよりも寂しさを感じている。
誰よりもわたしの人生やキャリアのことを考え、そばで応援してくれていた彼が、気遣いでそう言ってくれたことはわかっていた。
それなのに、わたしはむしろ「これからも一緒にいたいから、付いてきてほしい」と言われることを、どこかで願っていたのだと気づいた。
キャリアを一時的には捨てて(もしくは全く新たな挑戦をして)彼に付いて行く、という選択肢が今の自分にあることに、わたしは心底驚いてた。
一年前の自分には、全く考えられないことだったから。
それほど、彼はこの一年でわたしの人生の中心になっていたのだ。気づかないうちに、そんなにも大切な存在になっていた。
だから、頭では「自分の人生のことは、自分で考えなきゃ」とか「彼に合わせずに、自分が本当に生きたい道を、考えよう」と思っていても、感情がついてこなかった。
いつか振り返った時に、「あの時付いていかなければ…!」と後悔する可能性はもちろんあるし、誰かの人生に流されて自分の人生を決めてしまうことで、相手に責任を押し付けてしまうのも怖かった。
だけど今のわたしは、完全に「彼の人生は彼の人生、わたしの人生はわたしの人生。お互いがやりたいことをやって、交わる点があれば、一緒に生きていけばいい」という割り切った考え方は、どうしてもできなくなっていた。
もしかするとこれは、依存なのかもしれない。だけど、誰かと一緒に生きていくって、ある程度相手のことを受け入れて、流されたりお互いに吸収したりしながら、境界線が溶けていって、ひとつの人生になっていく、そんな自然現象なんじゃないか?と、開き直っている自分もいた。
自分の中に、一年前までは知らなかった自分がいる。
わたしは自分の中に危うい感情があるのを知って怖くなった反面、それを完全に否定することもできずにいた。
***
自分の中の感情に気づいてひとり狼狽えていた時、彼から電話がかかってきた。
もやもやしているわたしの心にいち早く気づいた彼は、なかなか言葉にできず、何度も黙ったり言葉に詰まったりするわたしの話を、辛抱強く聞いてくれた。
そのあと彼の話を聞いて、わたしが少しだけ、彼の話を飛躍して捉えていて、勝手に落ち込んでいたことがわかった。
「若いうちに京都に行きたい」という気持ちは今も変わらないけれど、彼は自分にそういう想いがあることを伝えたかっただけで、わたしを置いて行くという考えは全くなかったということ。
わたしにはこれからも自由でいてほしいから、彼からあまり口出しをせずに、まずは自分のキャリアのことだけを考えてほしいと思っていたこと。
とはいえ彼にとってもわたしの存在は大きくなっていて、ふたりの未来を前提に、色々な努力をしていたこと。
そんなことを一つひとつ伝えてくれて、わたしはようやく安心することができた。
勝手に遠ざかってしまったと思っていた彼との未来は、わたしが怖くなって目を逸らしていただけで、本当はずっと、変わらずそこにあったのだ。
今回のことで、自分の人生を考えることだって難しいのに、他人同士だったふたりが人生を一緒に考えることは、なんて難しい作業なんだろうと思った。
性格や価値観、将来の夢、理想の暮らし。
別々のふたりが、ばらばらの要素をたくさん抱えながら、一緒に生きていこうとしている。
それは、とても気が遠くなるような果てしない道のりで、だけどそのぶん尊いことのようにも思えた。
これからの生き方については、まだまだ分からないことばかりだけど。
わたしはまた「ふたりで生きる」ことに一歩近づいたような気がして、そのことが、なんだか少し嬉しいのだった。
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